DAY2:2018年6月17日(日)その2

~楽しく李先生、方雷さんと懇談~

ぼくたち3人は、朝早く、成都市から紅白鎮に向かいました。

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李先生と方雷(ほうらい)さんと初対面を果たしました。

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花で飾られた紅白鎮への歓迎の意を表す柱が立っています。

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学校の裏山にある「共同墓地」にお参りに行きました。

裏山の共同墓地は、亡くなった人々を永遠に忘れないように「5.12紀念陵園」と名付けられていました。

ぼくたちは、用意してきたお花を李先生に手渡し、共同で紀念碑にお供えしました。
そして、李先生の教え子やお子さんの心語ちゃんをはじめ、四川大地震で亡くなられた全ての人々に哀悼の気持ちを込めて手を合わせました。

「5.12地震遭難同胞紀念碑」の前で、記念撮影です。

李先生の新しい職場です。

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学校の教育目標などが掲げられています。

新しくできた幼稚園や小学校を見学させてもらいました。
復興が、一歩一歩ですが、確実に進んでいることが伺えます。

~李先生たちとの歓談~

この後、紅白鎮のレストランで、5人で会食をしました。

李先生は、ぼくの教え子たちが贈ったお手紙を持って来てくれていました。
李先生は、
「お手紙やお金、千羽鶴をもらった時は、正直驚きました」
「日本の新潟県の小学生たちからだということは分かりました」
「日本語だったから、日本語の分かる人に翻訳してもらって、一通、一通、意味を理解しました」
「意味を知れば知るほど、私たち被災者に対する気持ちの深さが感じられ、うれしさと感謝の気持ちが大きくなっていきました」
「遠い日本からでも、私たちを応援してくれているということを知り、辛いことがあっても頑張ろうという気持ちを持ち続けることができました」
「本当にありがとうございました」
「宮田先生と教え子の皆さんには心から感謝しています」
「今度機会があったら、皆さんを中国にご招待したいです」

と、こちらが恐縮してしまうくらい、何度も何度も感謝の言葉をいただきました。

ぼくは、
「教え子たちは、この8月に同級会を計画しています」
「その同級会の時に、李先生にウイチャット(中国版ライン)で動画電話をさせてください」

「教え子たちは、李先生が元気な姿を見たいと思っています」
「その時に、教え子たちに李先生の元気な姿を見せてください」

「言葉は通じないかもしれませんが、その時までに、ぼくが中国語を猛勉強して通訳ができるようになります」
と約束しました。

ぼくは、久しぶりに全員分の手紙に出会えて、懐かしかったのでスマホカメラで全て撮影しました。
同級会で教え子たちに会ったら、見せようと思いました。

その後も、李先生、方雷さんたちと楽しく会食をしながら歓談をしました。
そして、名残はありましたが、紅白鎮を後にしました。
成都に着いた時は、夜遅くになっていました。

~後日談①:スマホの洗濯~
情けない話で、誰にも話したくないですが、白状します。
成都から上海に戻った後の7月のことです。
スマホをズボンのポケットに入れたまま、洗濯機に入れて、洗濯をしてしまいました。
保存してあった、データも写真も全て消えてしまいました。
その時の、ショックは、相当な物でした。
だから、教え子たちの手紙の写真も、李先生たちとの会食の様子を収めた写真も全てなくなってしまったのです。
それ以来、酔って帰った後の洗濯は、厳禁と決めています。

~後日談②:8月の同級会~

2018年8月、小学校を卒業する時に埋めた「タイムカプセル」を開ける時が来ました。
ユンボ(地面を掘り起こす工作機)を動かせるようになった教え子が、タイムカプセルをユンボで掘り起こしてくれました。

教え子たちは、21才か22才になっています。

その当時、入れた懐かしい物品に大喜びです。

タイムカプセルを掘り出した後は、懇親会です。

ぼくは、2ヶ月前、李先生に会った話をみんなにしてありました
ウイチャット電話の件も、話をしてあります。
李先生との約束の時間が来ました。
みんなで事前に練習した中国語であいさつです。

「你好(ニーハオ)!李老師(リ ラオシー)」

10年経って、教え子たちと李先生との交流がようやく実現した瞬間です。

あとは、言葉は必要ありません。
「みなさんからあの時いただいた、お手紙やお金や千羽鶴にたくさん勇気づけられました」
「本当にありがとうございます」
「皆さんにお会いできて本当にうれしいです」
「今度ぜひ中国に遊びに来てください」

「李先生、ぼくたちのお手紙をずっと大事にしてくれて、ありがとうございます」
「少しでも李先生たちの力になれてうれしいです」
「李先生、お子さんの誕生おめでとうございます」
「心語ちゃん(大地震でなくなった李先生の娘さん)の分まで可愛がってあげてください」
「李先生も、日本に遊びに来てください」

ぼくの下手な中国語でも、お互いに十分、気持ちが伝わりました。

李先生とのウイチャット電話が終わり、アルコールが入ってくるとともに、
「先生、相変わらず、ドジやってるね」
「今度のスマホは、完全防水だよね?」
「飲み過ぎはダメだよ。もう若くないんだからね」
と、スマホの洗濯について、大いにいじられてしまいました。

ぼくは、みんなのお手紙の写真を失くしてしまって、すごく申し訳なく思っていましたが、
教え子たちは、
「写真より実物の李先生とお話ができてよかったよ!」
と、口々に言ってくれたことが、ぼくにとって何よりの救いでした。

(第7話、終わりです)

(第8話は、「四川料理を堪能!」です)

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宮田 彰(あきら) 1961年新潟県上越市生まれ 新潟県内公立小学校教員を33年間勤める 2015年から中国上海のアメリカンスクールにて教員 2021年退職 2022年「あきらのふらブラ旅ブログ」開設 現在上越市在住

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