DAY2:2018年6月17日(日)その1

~いよいよ、李先生との初対面~

朝、ホテルからYAさんが借り上げてくれた車で出発しました。
目的地の紅白鎮小学は、成都市の北東部にある徳陽市から北西の山岳地帯に向かって走ります。
成都市から150kmくらいあるそうです。

紅白鎮に近付いてきました。
ドキドキです。

「紅白鎮に歓迎します」の花でつくられた看板です。

出迎えてくれた李先生です。

もう一人出迎えてくれたのは、方雷(ほうらい)さんでした。

~方雷さんの紹介~

「李先生と30人の子どもたち」を語る上で、李先生の次に欠かせない重要人物が、方雷さんです。
少しだけ、方雷さんの紹介をします。

方雷さんは、李先生の学級の学級長をしていました。

中国の学級長は、日本の級長や学級委員より役割がはっきりしていて、誰でもがなれる、役職ではないそうです。
学級のリーダー的存在であり、先生を補助する役職でもあります。

その、学級長の方雷さんが、四川大地震の後、精神的に荒れていました。
提出物を白紙で出そうとしているようです。

方雷さんは、四川大地震の時の凄まじい体験がこびりついて、忘れることができません。
どうしていいものか、分からない中、教師に反抗的になったりしているようです。

学級長として、友人として、同級生として、一人の人間として、救いたかった命がいくつもありました。

しかし、亡くなる同級生を目の当たりにします。

おそらく、学級長としての責任感もあり、倒壊現場から逃げずに、懸命に救助に尽力し続けたのだと思います。

救い出した友だちが、一人また一人と亡くなっていく現実を、どう受け止めていいのか、分からない状態です。

深夜の暗闇で助けを呼ぶ声を聞き続けました。

自分を責めてしまいます。

自分のせいではないことは分かっていいても、自分の無力感を感じてしまいます。

地震の後、李先生は、時間をかけて、方雷さんたちに向き合います。

そんな、李先生の指導のお陰で方雷さんは、徐々に気持ちの平静を取り戻していきました。

関口知宏さんの番組にも李先生の補佐役として、登場していました。
同年代の日本の高校生たちとのサポート役としても存在感を出していました。
(写真、右側の男性です)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ぼくたちは、李先生とようやく会えて、少し興奮気味です。

この後、新しい校舎へ行ったり、墓地や慰霊塔へ行ったりしましたが、その紹介は、次回にしたいと思います。

(第6話、終わりです)

(第7話、「今でも、手紙を、、」です)

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宮田 彰(あきら) 1961年新潟県上越市生まれ 新潟県内公立小学校教員を33年間勤める 2015年から中国上海のアメリカンスクールにて教員 2021年退職 2022年「あきらのふらブラ旅ブログ」開設 現在上越市在住

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