DAY6:2022年9月11日(日)その2

~神幸(みゆき)橋・三嶋神社へ~

ぼくたちは、「雲の上の図書館」で、「四国カルスト視界ゼロでの運転疲労」を癒し、これから、梼原町内を「ふらブラ」しようと思います。
まずは、地図の上の方にある「神幸(みゆき)橋」とその奥にある「三嶋神社」に向かいました。

「神幸橋」です。
下の写真↓「梼原川」にかかる木製の橋です。
歴史の重みと重厚感が感じられます。


この写真だけだと、橋とは思えませんね。
どこかの建物の廊下みたいです。


神の幸と書いて「みゆき」と読みます。
橋の奥に三嶋神社があります。
1000年の歴史を持つ「津野山神楽(つのやまかぐら)」が開かれる有名な神社です。
そんな所縁(ゆかり)で「神の幸の橋」と書くのでしょうか。

地図で確認したところ、「龍馬脱藩の道」が、「神幸橋」を通って、三嶋神社左側の山奥に続いていくということが分かりました。
案内標識もありました。




しばらく、龍馬脱藩の道を歩いてみました。

三嶋神社です。↑

旅の無事をお祈りしたのでしょうか?
~梼原の町中へ~

「まちの駅 ゆすはら」です。
梼原町の特産品販売やホテルが融合した施設です。
これも隈研吾さんによる建築物です。

「梼原町総合庁舎」です。
梼原産の杉材をふんだんに使った、公共施設です。
町役場などが入っています。
もちろん、これも隈さんの手がけた建築物です。

「ゆすはら座」という芝居小屋です。
高知県唯一の木造の芝居小屋だそうです。

「ゆすはら座」の内部です。
内部も全て木造です。
この「ゆすはら座」は、昭和23年に建てられたといいます。
昭和23年と言えば、1948年です。
「太平洋戦争」敗戦後、間もない頃ですね。
日本全体が、食うや食わずで、疲弊していた頃ですね。
この建物で見る芝居が、当時の人々にひと時の安らぎをもたらしたのかもしれませんね。

「化粧坂の茶堂(ちゃどう)」です。
この梼原の地には、ほぼ集落ごとに写真のような「茶堂」があります。
江戸時代の初期に弘法大師(こうぼうだいし:空海ですね)を祀(まつ)り、厄除招福(やくじょしょうふく:厄を取り除いて、福を招く)の祭りをしたことが起源とパンフレットに書いてありました。
それがいつの間にか、旅人が通ると、無償で食べ物や飲み物を提供する場になっていったということです。
お遍路さんの「お接待」のような感じかもしれませんね。
四国の人々の他者に対する思いやりや、心意気みたいなものを感じてしまいますね。
さて、そろそろ、今晩の宿を探さなければならない時間です。
無事、いい「ねぐら」が、見つけられるのでしょうか?
(第15話 終わりです)
(第16話は、「維新の門で宿泊?」です)
<お知らせ>このお知らせは、昨日と同じ内容のお知らせです。
先日、お約束した「よさこい」の動画をインスタグラムにアップしました。
宮田彰(@akira_furabura) • Instagram写真と動画
ぜひ、見に来てください。
