DAY5:2022年9月10日(土)その3

~高知城へ
高知駅前で、小学生たちの「よさこい」を堪能(たんのう)した後、高知城を目指して、高知駅前を出発しました。

この日の高知は、かなり暑くて、直射日光の当たる日なたは汗が吹き出ます。
そんな中、道に迷いながら、やっと、高知城に着きました。
遠くから城が見えるのに、なかなか、天守閣に行く上り口が見当たらず、ウロチョロしてしまいました。

ようやく、辿(たど)り着けた天守閣です。
懐かしいです。
40年前の記憶が蘇ります。

40年前の高知城です。
向かって左端が、O君で、真ん中がぼくです。
たまには、40年前の写真を入れ込むのもいいですよね。

40年前には、謂(いわ)れが分からず、記憶にも残っていない「千代(ちよ)」さんの銅像です。
千代さんは、高知城の初代城主「山内一豊(やまのうちのかずとよ)」の奥さんです。
山内一豊の銅像がない(と思います)のに、その妻の銅像があるのは、不思議と言えば不思議ですが、それだけ、千代さんは高知でも有名なのだと思います。
山内一豊が、一国一城の主(あるじ)になれたのは、千代さんの功績が大きかったと言われています。

「千代」さんは、20年くらい前に放映された、NHK大河ドラマ「功名が辻」で一躍有名になりました。
確か、仲間由紀恵さんが千代を演じたはずです。
ぼくの大好きな町「郡上八幡」生まれだという説が有力です。
郡上八幡城にも、千代さんの銅像があります。
なぜ、初代城主の山内一豊公と一緒ではなく、馬と一緒の銅像なのかというと、、、

失礼しました。
ウンチクが長くなりそうなので、これくらいにします。
40年前には、こんな知識なかったです。

高知には、「板垣退助」さんもいましたね。
高知城内に立派な銅像が建てられています。
幕末の英傑というより、明治維新後の「自由民権運動家」として有名ですね。
「板垣死すとも、自由は死せず」は、板垣さんが暗殺された際に発した言葉ですね。

クラブツーリズム

~車をとりに御免町へ~

高知市内観光は、予定外の「よさこい」と高知城のみとなってしまいましたが、暑い中、高知大学散策を含めて、半日よく歩いたと思います。
車旅で、こんなにも長時間歩けたのは、幸せなことです。

車の駐車してある「後免駅」までは、「とさでん」です。

後免駅からは、再び、車旅です。
「桂浜」を目指して出発です。

~昼食はカツオのたたきを~

途中、地元での有名店「西村食堂」で昼食を食べました。

リーズナブルに「カツオのたたき丼」を注文しました。
高知に来たら、絶対に食べたかった食べ物です。

藁(わら)で焼き上げているので、新鮮なカツオに香ばしい藁の香りが染みついて、非常に美味です。
一気にペロリと食べてしまいました。

1日あたり150円の支援で「希望」を

~坂本龍馬記念館にて~

桂浜の「坂本龍馬記念館」です。

記念館玄関前の「坂本龍馬像」です。
等身大と言われています。

手に何かつけているなあと思い、見てみると、
「握手はご遠慮ください」
と、書いてあります。
記念館の正面に、でかでかと掲げられた
「心をつなごう、シェイクハンドぜよ!!」
とは、真逆の文言に戸惑いを感じましたが、コロナの影響等、時節柄(じせつがら)、仕方ありませんよね。

「シェイクハンド」がダメなら「クロスショルダー」ぜよ!!
(握手がダメなら、肩組みです)
龍馬さんとのツーショット写真に満足です。

~仁淀川へ~

その後、仁淀(によど)川を目指して、進みました。
仁淀川もNHKスペシャル「仁淀川~青の神秘~」で放映された後、「仁淀ブルー」の美しさを求めて、数多くの人々が訪れていると聞きます。
それまでは、四国高知と言えば、最後の清流「四万十(しまんと)川」が有名でしたが、それ以後、仁淀川にも脚光が浴びています。

仁淀川の河口に来ました。
河口は、想像より大き過ぎて、車で近づける所がありません。
こんな遠くからの写真ですいません。

この後は、仁淀川沿いを上流部に向かって遡(さかのぼ)る予定です。
はたして、「仁淀ブール」はお目にかかれるのか?
そして、お目当ての「沈下橋」にも出会えるのでしょうか?

(第12話 終わりです)

(第13話は、「仁淀川を遡って」です)

<お知らせ>

先日、お約束した「よさこい」の動画をインスタグラムにアップしました。
宮田彰(@akira_furabura) • Instagram写真と動画
ぜひ、見に来てください。

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