1980年5月

~教育実習が履修困難に~

大学2年時の5月だったと思います。

「みやた!学生課の張り紙で、また、呼び出し、くらってたぞ!」
(「みやた」とは、ぼくの名字です)

友人が、うちのアパートに来るなり、そう教えてくれました。

翌日、急いで学生課に出向くと、

教育実習の申込期限が過ぎたのに、まだ未提出ですよ。
 6月の教育実習は、どこも行けませんよ。」

と言われてしまいました。

何か、悲しいような、うれしいような複雑な感情でした。
ぼくは、当時、県内にある国立大学の教育学部に籍を置いていました。
教育学部なので、教育実習は必修です。
それが、行えないとなると、留年の可能性があります。
だから、まずいことになったという自覚はありました。
でも、まだ教職に就くことに迷いがあったこともあり、ホッとした感情が芽生えたのも事実です。

~ぽっと空いた2週間~

後日、ぼくの大学時代の親友だったY君も、麻雀仲間だったT君

「キャパオーバーで外された」

とかで、教育実習に行けなくなったことを知りました。
偶然にも、その3人が、6月上旬に行われる2週間の教育実習がなくなったのです。
もちろん、その間、大学の授業もありません。

ぼくは、普段から真面目に大学に通う方ではありませんでしたが、まるまる2週間全く通う必要がなくなったわけです。
教育実習に行けなくなった不安より、2週間の自由がうれしかったです。

外され3人組”で飲んだ時に

「せっかく2週間大学行かなくていいんだから、どこか行かないか?」

という話になりました。

~北に向かって旅に出ることに~

そこで、決まったことは

・とりあえず「北」へ行く

みやたの車で行く

(ぼくは、貧乏学生でしたが、大の乗り物好き。コツコツとバイトでためたお金で、安い中古車を所有していました。)

・Y君がどこかで拾って来た2畳ほどのカーペットの上で野宿をする。

・各自それまでに寝袋か毛布を調達する。

・2週間以内に帰ってくる。

その程度しか決めずに旅に出ようとしたのです。

若いということは、怖いもので、初めての野宿旅に対して、不安とか迷いとかは全くなかったです。
不安があったとしたら、当時いくつも抱えていたバイトを2週間休むための調整の方でした(笑)

こうして、自由気ままな旅が始まっていくのでした。

この旅が、ぼくのふらブラ旅のルーツやきっかけになろうとは、この時には、夢にも思わなかったです。

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