DAY5:1980年6月12日(金)
~顔に霧吹きで水を~
朝方でした。
霧吹きで顔に水をかけられている夢を見ていました。
「やめてくれ!やめてくれ!」
といくら叫んでも執拗に吹きかけられます。
遂には、冷たくて、目を覚ましてしまいました。
目を開けてあたりを見ると、土砂降りです。
ポーチのおかげで、雨が直接顔にかかっていたわけではありませんが、コンクリートにたたきつけられた雨粒の跳ね返りが霧吹きのように顔にかかっていたのです。
寝袋や毛布もかなり濡れてしまいました。
今のように多少なりとも人生経験を積んでいれば、こんな後は、体を冷やしたから、健康に気を付けなければいけないと考えるはずですが、まだ若造です。
何も考えず、いつも通りに行動してしまいました。
~平泉から仙台へ~
平泉では、中尊寺金色堂や毛越寺に行きました。
写真を見ると雨なのに傘もささずに観光をしているようです。
(3人が傘を持っていたかどうか定かではありませんが、おそらく、だれも持ってきていなかったのだろうと思います)
その後、仙台青葉城に行きました。


~T君に異変が~
平泉観光をしている時くらいからT君の元気がないことは、多少気になっていました。
仙台に行ったあたりには、車の後部シートで横たわるまでになっていました。
「熱があるみたいだ」
とT君に言われてから、ようやく気を使い始めました。
額に手をやると、鈍感なぼくでも明らかに「ヤバい」と感じるくらいの高熱でした。
そして、すぐに、新潟に帰らなければと思うほどの高熱でした。
仙台から新潟に帰るためには、当時「日本の背骨」と言われていた「奥羽山脈」を越えなければなりません。
1000mを超える山々が複雑に連なり、車であっても、越えるのは、なかなかの難所です。
今のように、便利なトンネルはまだ通っていません。
相当険しい峠道をいくつも超えていかなければなりません。
さらに、あたりは既に薄暗くなっていたので、奥羽山脈を越えるころには、真っ暗になっているのは、間違いありません。
~帰路へ~
高熱で横たわっているT君のために、一刻も早く帰ることが一番と考え、2人は気合を入れて、仙台を出発しました。
しかし、その気合は、奥羽山脈に阻まれるのでした。
真っ暗な、くねくね峠道をいくら上っても下っても、どこを走っているのかさえ分からない状態が続きました。
「ここさっき通ったような気がしない?」
「そうだな。一体、今、どこにいるんだろうな?」
という会話を繰り返したのを覚えています。
2人は、交代で運転を続けましたが、疲労は増すばかりです。
とうとう、どこかも分からない真っ暗な峠道で
「ちょっと休もう」
と、どちらからともなく声をかけました。
エンジンを切ると寒くなるので、寝袋や毛布をT君にかけ、2人は、運転席と助手席でしばらくのつもりで、ひっくり返りました。