DAY4:1980年6月11日(木)
~ポツンと3人~
「おい!起きろ!いつまで寝てるんだ!」
またまた、国鉄職員の怒鳴り声が聞こえました。
ふと目を覚ますと、あたりは明るくなっていました。
まわりには既に乗客は一人もいません。
いるのは、隣でまだ寝ているY君とT君だけです。
畳敷きの割と広い2等船室にポツンと3人だけが取り残されていたのです。
どうやら、青森駅に着いたのに気付かずに寝ていたらしいのです。
国鉄職員にさらに怒られるのは嫌なので、二人を起こして、すごすごと船から降りました。
~津軽線でまた失態!~
青森駅から津軽線で蓬田駅まで行かなければなりません。
車が置いてあるからです。
眠い目をこすりながら3人は、津軽線に乗りました。
やはり、予期せぬ(今なら予想通りかもしれませんが)出来事が起こったのでした。
乗車した3人は、すぐに熟睡状態に陥りました。
だれかが気付いた時には、蓬田駅を通り過ぎていたのです。
寝過ごしたことに気付き、焦って降りたのは確か、蟹田という駅だったと思います。
頻繁に列車があるわけではないので、蟹田駅でかなりの時間ぼーっと待っていたと思います。
無事、蓬田駅まで戻れた時には、まだ午前中なのにゴールにたどり着いたような気分でした。
~今度は太平洋を目指して~
放置してあった車の中でしばらく休息した後、
「さて、この後、どうする?」
という話し合いになりました。
「とにかく、北へ」を合言葉に北上してきたわけですが、この後、函館以上の北に行くことは車では無理です。
「じゃあ、とりあえず東に行こう」ということになりました。
「東に行けば太平洋があるので、太平洋を見たら、またその時に話し合おう」
ということになりました。
~牛と共に~
青森市を過ぎ、しばらく運転していると、いきなりY君が、
「止めてくれ!気持ち悪い!」
と叫んだのです。
野辺地という地名だったと思います。
ただただ広い牧場しかない道路の脇に車を止めました。
Y君は、車外に駆け出し、牧場の脇でうずくまりました。
車酔いでもなく、体調不良でもなく、二日酔いです。
二日酔いの特効薬は、大量の水分と時間の経過です。
でも、苦しそうなので、ぼくも傍らに行きました。
その時、偶然、突然、二人の目の前にいた白黒の牛が、お尻をこちらに向け、大量のウ○○を垂れ流したのです。
目の前でです。
それを見たせいかどうかは、定かではありませんが、Y君は、そのウ○○の垂れ流しとほぼ同時に嘔吐したことを40年たった今でも鮮明に覚えています。
~太平洋から内陸部へ~
その後、どこの道を通ったのか、定かではありませんが、岩手県のリアス式海岸沿いを通ったことは間違いありません。

吉里吉里駅前で撮った写真です。(現在の岩手県大槌町内です)

岩手県の釜石大観音様です。
東日本大震災でも台座にひびが入っただけで無事であったと聞き、うれしく感じたことを覚えています。
その後、太平洋にさよならをし、気仙沼から岩手県の内陸方面に向かいました。
平泉に着いた時には、既に暗くなっていたような気がします。
平泉では、小学校の玄関ポーチの下で野宿しました。
その時にはそんなに雨は降っていなかったはずですが、、、