DAY4:3月27日(日)
~愛媛県から高知県へ~
ぼくら3人は、おいしい朝ごはんをいただいた後、W君の実家をあとにしました。
W君から今治城や松山城、道後温泉、宇和島城などの愛媛県の観光地の話をいろいろ聞きましたが、そのどれも車から眺めただけで、立ち寄ることはありませんでした。
愛媛県は、W君の家での「もてなしで大満足」だったからです。
とにかく、車から降りずに海岸線沿いを走り続けました。
今治から松山、大洲、宇和島を通り、高知県に入りました。
~断崖絶壁と「変てこガードレール」~
高知県宿毛(すくも)市に入ったころ、日が暮れてきて、視界が悪くなってきたと同時に、とんでもない道になりました。
四国一周と銘打った手前、原則、海岸に一番近い道を選んで通ってきました。
宿毛市内までは比較的普通の道路でしたが、足摺岬に向かって南下する道路は、すれ違えないほどの道幅で、海側は遥か真下にきらりと光る海が見え、逆側は、上まで見通せないほどの垂直の崖です。
まさに、「断崖絶壁」です。
さらに、なぜか、カーブの先端だけガードレールが切れているのです。
車が、ちょうど一台分、落ちる幅が開いています。
曲がりそこなったら、はるか下の太平洋に真っ逆さまのドボンです。
なぜ、そのような構造にしてあるのか今でも不明です。
まさかとは思いますが、昔、車の落下事故があったのに、修理していないのかなとも思えるほどです。
でも、無数のカーブのほぼ全てで、そのような構造なので、その予想はまずありえません。
スピードの出し過ぎには、気を付けろという警告でしょうか?
3人は口をそろえて
「これって、ガードレールの意味ある?」
と怯えながら走行を続けました。
~足摺岬の近く叶崎でねぐら探し~
Y君との2人の交代で運転してきましたが、(O君がなぜ運転できないかは、あとで紹介する機会があると思います)あまりの道の悪さのため、疲労困憊してきました。
そろそろ、ねぐら探しです。
足摺岬の近くの「叶崎(かのうざき)」というところを、ねぐらの第1候補にしました。
叶崎の先端に灯台があったので、行ってみました。
灯台は光っていましたが、鍵がかかっていたので入れません。

ねぐらにならなくて、残念なはずなのに、なぜかハイテンションのように見えます。
喜んでいる場合じゃないのに、、、
~ぼくの足をすーっと~
次は、長い石段の上にお寺か神社のかすかな光が見えたので、真っ暗な中、石段を登っていきました。
社務所の軒先にでも、ねぐらを求めていたのです。
長い長い石段です。
遠くに灯りが、かすかに見えるだけで足元は真っ暗です。
石段の両脇は墓地のようで妙にシーンとしています。
3人は内心、薄気味悪いと思っていましたが、ビビりと思われたくないので、黙って登っていました。
半分くらいまで行ったところでしょうか、いきなり何者かが、ぼくの足(ふくらはぎの後ろあたり)をすっと摺する(こする)ではありませんか。
ぼくは、思わず
「うおっー!」
と、大声で叫んでしまいました。
その声で、3人とも今登ってきた階段を一目散に、駆け下りてしまったのです。
「はあはあ」肩で息をしながら、足摺り(あしこすり)のことを話したら、2人は
「うそだろ」
と信じてくれませんでした。
40年くらいたった今でも、ぼくには錯覚とは思えません。
逆に
「これが、足摺岬の名前の由来かもしれない」
と真剣に考えるようになりました。
~ねぐらで、またしても、してはならないことを~
結局、岬から少し離れた小さな集落内のバス停をねぐらに決めました。
例のごとく、Y君のカーペットを敷いて、その上で酒盛りが始まりました。
しかし、途中でアルコール類が足りなくなってしまいました。
正確に言えば、用意したアルコール類を全て飲み尽くしてしまいました。
かなり、酔っぱらっていた、ぼくとY君は、
「ビール買ってくる」
とか言って、かすかに灯りのある集落の方へ出かけたのです。
(かなり千鳥足だったと思います)
O君は、当時、飲むと足腰が立たなくなるタイプだったので、バス停で留守番をしていました。
遠くに見えたかすかな灯りは、民宿のようなお店屋さんの灯りでした。
玄関の脇の勝手口みたいな扉が開いていたので、2人は中に入っていきました。
すると、何とも偶然、目の前にビールケースが何段にも積み重なっているではありませんか。(黄色だったのでキリンですね。今、銘柄は関係ありませんが、、)
探し求めていたビールが目の前にあります。
2人は喜んで、大声で
「ごめんください」
と、叫びました。
しかし、返事はありません。何度も繰り返しましたが、同じです。
2階の方からテレビの音が聞こえるし、灯りもついていました。
階段の下まで行って、2階に向かって、さらに大きな声で
「ごめんください」
と叫びましたが、何の音沙汰もありません。
らちがあかないので、
「お金を置いて、ビール持っていこう」
ということになりました。
ビールを1本ずつ持って、ポケットを探ると、何と2人とも小銭がほとんどありません。
2人にお札を置いていくという選択肢はなかったように思います。
「仕方ない。もらっていこうか」
酔っぱらいは、どうしようもありませんね。
万引きですよ。
でも、その時は、ほとんど罪の意識がありませんでした。
もらってきた?ビールを持って、嬉々として、ねぐらのバス停に戻りました。
ガードレールのふちを利用して、栓を抜いて飲みました。
何という馬鹿なことをしたのでしょう。
~苦しい言い訳~
言い訳させてください。(またかという呆れた声が聞こえてきますが、、、)
その時には、正直、そんな罪の意識は感じませんでした。
でも、その後、教員になり、子どもたちに人の道とかを説くようになると、のどに刺さった魚の骨のようにいつまでも忘れることのできない出来事になっていきました。
そこで、この旅から5年後と8年後に再び、そのお店を訪ねる四国旅をしました。
5年後の旅では、お店が発見できず途方にくれました。
(新しくトンネルができていて、その集落を素通りしていたようです)
それで8年後にO君を道案内に、再度お店発見ツアーを決行しました。
その時は、お店が見つかり、お店の人に事情を説明して、瓶ビール2本分のお金を支払ってきました。
お店の人は、
「そげんことで、わざわざ新潟から来なさったがかね。お疲れさん!お疲れさん!」
と逆にねぎらいの言葉をいただいてしまいました。
ぼくたちは、やっと、のどに刺さった骨がとれたような気がしました。