DAY9:4月1日(金)

~O君を残しての出発~

朝、O君を残して、2人で新潟に向かいました。

O君は、このまま神奈川に残り、大学の新年度を待つことにしました。

「新潟からの旅費が助かった」

と言って喜んでいましたが、あとで話を聞いたら、

「新潟まで一緒に行きたかった。
 自分一人で、2人を見送るのはさみしかった。
 3人で同じゴールを迎えられなくて残念だった。
 旅の終わりをみんなでむかえたかった。
 もっと、もっと、ずっと旅を続けたかった」

と言っていました。

O君もこの旅をきっかけにして、(野宿)旅の魅力にはまっていくのでした。
そして、旅の新たな価値観を発見したり、その価値観を共有する仲間と出会えたりして、新しい自分を発見していくのでした。

その後、O君とは数えきれないくらい一緒に旅をすることになります。
(このブログでも今後何度も登場することになります)

~忠実に国道を~

さて、神奈川県相模原市を出発したぼくとY君は、都内に入らないように、それから道に迷わないように、ひたすら国道16号線を走り続けました。

相模原で旅のゴールのような錯覚を覚えていたので、もう一度、緊張感を高めて、安全に走行することをY君と確認し合いました。

埼玉県大宮市からは国道17号線です。
17号線は、新潟市まで続いているので、17号から外れなければ新潟市に着きます。
もちろん、観光などは全くせず、ひたすら新潟を目指しました。

~新潟では大雪~

群馬県と新潟県の県境「三国峠」付近に来ると、まさに川端康成さんの「雪国」の世界でした。

「さすが56豪雪だな」

と雪国生まれの2人でも、あまりの雪の多さにびっくりしました。
四国という南国から帰ってきたせいもあるのだと思いますが、、、

国道17号線沿線の至る所にあるスキー場には、多くのスキー客であふれていました。

「四国では、シャツ1枚でも過ごせるくらいだったのになあ。日本は広いなあ」

断続的に降りしきる雪をワイパー越しに見ながら、改めて日本の大きさを感じました。

越後湯沢から六日町、長岡、新潟と日本海に近づくにつれ、雪の量は落ち着いてきました。

~なぜか、寂しさが~

もう少しでゴールです。

でも、2人は、なぜか晴れ晴れとした気持ちにはなれず、どちらかというと重苦しい雰囲気でした。

おそらく、

「(ゴールが目の前に迫ってきて)旅を終えなければいけない寂しさ」

「車で自由に走り、どこで何を食べるか、どこで泊まるか、どこを観光するか、、、、そんな自由で開放的な環境がゴールと同時に終わってしまう寂しさ」

「また、明日からいつも通りの日常生活に戻る寂しさ」

このような、いろいろな寂しさが、心の中でごちゃごちゃ混ざって、無意識のうちに、重苦しい雰囲気になっていたのだと思います。

一つ強烈に覚えているのは、吉田拓郎さんの「祭りのあと」という曲が頭にこびりついて離れなかったことです。

「祭りの後の淋しさが、いやでもやってくるのなら、

 祭りの後の淋しさは、、、、」という歌詞です。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、

「なるほど、こんな気持ちの時の歌なんだな」

と、初めて実感できました。

  

新潟に着きました。

Y君とは、お互いに寂しさを表に出さないように笑顔で別れたました。 

~旅の終わりに~

思い出すだけで、ひやひやドキドキする旅でしたが、その都度、何とかクリアして、無事帰ってきたことは大きな自信にもなりました。
旅の楽しさを心から感じて、これからの旅に繋がっていく旅でした。
まさに「ふらブラ旅のルーツ」と言える旅でした。

最後まで、お付き合いいただきまして、ありがとうございます。

次回からは「BreakTime」をはさんで、「イスラエルの旅」をお伝えしたいと思います。
コロナが全世界に広がり、旅ばかりではなく、生活そのものを変えざるえない時期に決行した旅です。
コロナと関連付けた記事が多くなると思いますが、ぜひ、また、お付き合いいただきたいと思います。

最終日の写真が全くないので、ブログにアップしなかった3人の写真を何枚か載せて、この旅の締めくくりにしたいと思います。

O君が言うには、フィルムの最後のショットだったので右側が欠けてしまらしいです。

「あきらのふらブラ旅」メニューページへ