DAY7:3月30日(水)その2

~甘く見ていた紀伊半島横断~

靴下の臭いも落ち着いた後、3人はさらに険しい山道へと入っていくのでした。
国道166号線を東へ東へと向かって走っていたわけですが、道はどんどん悪くなる一方です。
「166号だからそんなには悪い道ではないだろう」
と、3人は思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
国道は、号数が大きくなるにつれ、田舎の辺鄙(へんぴ)なところを通っていて「悪路」というのが、当時の定説でした。
当時、国道は400号代まであったので、166はそんなには大きい数字ではありません。
だから、さして号数の大きくない166号ということは、結構「いい道」にちがいないと、3人は、信じていたのです。

進めば進むほど、あたりは、険しい渓谷になっていき、国道とは、とても思えない「悪路」になっていくのでした。

~高見峠での格闘~

奈良県と三重県の県境に高見峠という、忘れようにも忘れられないとんでもない峠がありました。

40年前でも、国道は舗装してあるのが普通でした。
しかし、その峠を走る国道は、泥道だったのです。
砂利道ではなく泥道です。
しかも、前の日に降った雨のせいか、それとも、
1年に400日、雨が降る
という言い伝えがあるくらい雨が多い紀伊山地の気候が、そうさせているのかは、よく分かりませんが、泥道というより、泥濘道(ぬかるみ道)です。

高見峠からの写真です。雲の上まで来てしまいました。
雲がわいている紀伊山地の山々が見渡せます。


その泥濘道(ぬかるみ道)は、タイヤが半分くらい泥に浸かるくらいの道です。
タイヤが泥に絡まって空転しても、外に出て押すこともできません。
人間の足首まで泥に浸かってしまうほどの深さだったからです。

もちろん、対向車とすれ違うこともできない狭い道幅です。
3人は、峠を越えられず、スタック(車が雪や泥で動けなくなってしまう状態)したまま朝を迎えなければならないのかと、覚悟するほどの、とんでもない国道(酷道)でした。

幸いなことに、対向車には合わず、スタックを繰り返しながらも、何とか高見峠を越すことができました。

~緑色の車が、、、~

道路が舗装路に変わり、人家がぽつりぽつりと見える里に下りてきた時には、一同
「ほっ」としたのは、間違いありませんが、車体を見て、びっくり仰天です!

何と、濃い緑色のY君の車が全面、黄土色です。
ボディーだけでなく、ナンバープレートもタイヤもヘッドライトもテールランプも全てが黄土色に変身していました。

その黄土色が、酷道との激しい格闘を物語っていました。
(写真がないのが残念ですが)

国道166号が、こんな「酷道」だと知っている人は、絶対に通らない国道です。
(だから、対向車が来なかったのかもしれません)

~忘れられないラーメンの味~

とにかく、腹ごしらえをしようということで、里の食堂みたいな万屋(よろずや)みたいなところに入りました。
入って正面に駄菓子や日常品を売っていて、左奥にテーブルが1つぽつりとある、今で言うならコンビニの「イートインスペース」のような所で食べました。

ぼくは、ラーメンを注文しました。

「200円」という安さに一瞬、驚きました。

出てきたのは、「マルちゃんラーメン」でした。

間違いなくインスタントラーメンでしたが、このインスタント麺をすすりながらも、幸福感を感じたのは事実です。

インスタントラーメンが、こんなにもおいしく感じたのは、後にも先にもこの時が一番です。

~伊勢志摩半島にて~

その後、松坂市を通り、伊勢志摩の夫婦岩を見たりしながら、志摩半島を巡りながら、ねぐら探しをしましたが、適当な場所を探すことができませんでした。

四国一周という目的を達成しているわけだから、帰路に少しでも近づこうということで、伊勢湾沿いを北上することにしました。

~ねぐら探しで苦戦~

三重県鈴鹿市まで北上したころです。
ねぐらにしてもいいかなと思われるバス停を発見しました。

いつものカーペットを敷き、ねぐらを設営しようとしていた時です。

「ブオン!」 「ブオン!」 「ブオオオーン!」

数台のバイクや自動車が爆音を立てて、バス停の前の道を通過していきました。

当時、日本中のどこにでもいた、暴走族です。

高見峠越えで疲れていたこともあり、面倒なことには、関わりたくない気持ちが、3人には、ありました。

「ここは、やめよう」

と言って、3人はねぐらの設営を中止して、別のねぐら探しを始めました。

時間はすでに、夜の10時くらいでした。

眠気を我慢しての運転の再開です。

<次回へ続く>

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