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~プラハ城・旧王宮へ~

実際に歴代の王宮として使われてきたのは16世紀までとの記述があります。
ということは、「ハプスブルグ家」による統治の時代には既に王宮としての役割はしていなかったということです。
では、「ハプスブルグ家」はどこを王宮にしていたかというと、主にはウィーンの王宮とブダベストの「ブダ城」です。
プラハには、常駐することなく、年に数回様子を見に来るだけだったということです。
また後でも紹介しますが、年に数回の来訪にもかかわらず、ウィーンのシェーンブルン宮殿などを模(も)した建築物を建て、無駄な支出を重ねたということです。

~はためく「真実は勝つ」~

「旧王宮」、現在の大統領府の入口です。
右上に一枚のはためくものが見えます。

この旗は「大統領旗」と呼ばれています。
旗下には「真実は勝つ」と書いてあります。
この言葉は、前回のブログで紹介した初代チェコスロバキア大統領に就任したマサリクさんによって国の標語となりました。
これは、
「真実を探求せよ。真実を聞け。真実を学べ。真実を愛せ。真実を語れ。真実を抱け。真実を守れ、死ぬときまで」
というヤン・フスさんの言葉に由来しています。

ヤン・フスさんは、14世紀末、腐敗堕落するカトリック教会に敢然と立ち向かい、火あぶりの刑に処せられてしまいます。
その際、「真実は勝つ」と叫びながら、プラハ市民に惜しまれながら亡くなっていくのです。

明日、ヤン・フスさんの像に会うために「旧市街広場」に行く予定です。
ヤン・フスさんの詳細については、その時にまた紹介したいと思います。

~思わぬ再会~

旧王宮近くを歩いていると、向こうに、会ったことのある、見覚えのある人がいたのです。

なんと、ウィーンで仲良くなったブラジル人、バレリオ・ロミグさんです。
Sくんは、
「よく分かったな」
と驚いていましたが、遠くなのに何となく目が引きあった感じがしたのです。

ロミグさんは、あれから、ウィーン市庁舎前で奥さんと落ち合い、ウィーンからプラハに来ていたのです。
ロミグさんとは、よほどの縁があるとしか思えません。
いくら、プラハの観光日が同じでも、同じ時間に同じ場所にいて、たくさんの観光客の中で出会える確率は高くはないです。
ぼくたちは、この奇跡的な再会をうれしく思い、思わずハグをしてしまいました。

同行していた奥さんも紹介してもらい、平和メッセージをもらいました。

奥さんの名前は、エリザ・ロミグさんです。
「みなさんに賛同します」というメッセージをもらいました。
この旅16人目の平和交流です。

3人での記念撮影です。
2人の仲を邪魔をしないように、ぼくは後ろで背伸びです。

その後、ロミグさんは自分のインスタグラムを見せてくれて、
「これから、交流しよう」
と誘ってくれました。

ぼくのスマホは、なぜかその時、ロミグさんのインスタに入れませんでした。
だから、上のような翻訳アプリで、「ちゃんと見る」約束をしました。

後日談ですが、帰国後、ロミグさんとはインスタのフォローをし合い、お互いの写真を見ながら英語でメッセージのやり取りをしています。
いつになるか分かりませんが、今度ブラジルで会う約束もしました。
こんな出会いもあるのですね。
旅はいいものです。

~「レノン・ウォール」へ向かう途中~

旧王宮から「レノン・ウォール」(地図では「ジョン・レノンの壁」となっている所です)に向かいます。

プラハ城はかなりの高台に建っているので、見下ろす周りの景色は、絶景です。

旧市街の統一された屋根や壁の色は見事です。

プラハは、近代的な高層ビルディングがほとんどありません。
法的な規制があるのだと思います。
だから、遠くまでよく見通すことができます。

~プラハ城を見上げてみると~

プラハ城からかなり下りてきたところです。
そこで、プラハ城を見上げた様子です。
プラハ城を取り囲むように建てられた新しく見える建築物に注目してください。
何となく違和感がありますよね?

ウィーンで見た建築物と見比べてください。

ウィーンの王宮
ウィーンのベルサイユ宮殿
ウィーンのベルベデーレ宮殿

ウィーンのいろいろな宮殿や王宮に似ていると思いませんか?
実は「ハプスブルグ家」による支配の400年の間に、プラハをウィーン化してしまおうとする目論見(もくろみ)があったのです。
・チェコ城を取り囲むウィーンに似た建築物にも、
・言語をドイツ語に統一しようとしたことも、
・プロテスタントのチェコ人をカトリックに改宗させようとしたことも、
この目論見の一つだと言われています。

ハプスブルグ家によって
「チェコをチェコ人の国ではなくしてしまおう」
というチェコにとっては非常に苦しい時代が垣間見られるワンショットです。

~レノンウォールへ~

これから、「レノン・ウォール」に向かいます。
「プラハ城」「レノン・ウォール」「カレル橋」という今日の3大目玉観光地の一つです。「レノン・ウォール」のレノンとは、もちろん、ビートルズのジョン・レノンです。
その壁が、なぜかプラハにあるのです。
どこに行かなくても、ここには絶対に行きたいと、存在を知ってからずっとそう思っていました。

ぼくは、ビートルズ世代より少しだけ下になります。
ビートルズ来日は1966年6月なので、ぼくはまだ4歳です。
ほとんど記憶はありません。
だから、リアルタイムのビートルズの記憶は薄いですが、中学高校以降、ビートルズの音楽にはまった時代があり、レコード(その当時の音源です)も結構そろえたし、一応全曲聞いたつもりです。
そんな、ビートルズ好きのぼくなので、ジョン・レノンに会えるわけではありませんが、心はワクワクどきどきです。

(第6話、終わりです)

(第7話:「レノン・ウォールへ」です)

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