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昨晩は、暴走族の爆音とそれを取り締まる警察のサイレンで若干の寝不足です。
今日は、プラハ観光2日目です。
「プラハ城」周辺観光をしてから「カレル橋」を渡る予定です。
その間、マスト(どうしても)は、「レノンウォール」だけです。
とにかく、ふらブラを楽しもうという計画です。

~プラハ城の紹介~

石造りの美しい橋「カレル橋」の向こうに見えるのが「プラハ城」です。
プラハの象徴「プラハ城」は「絵」になりますね。

このプラハ城が、いつ造られ、どんな歴史をたどって今に至っているのか、そして、プラハ市民にとって、どんな意義があるのか、少し紹介させてください。

<プラハ城 創世期>

NHK・NSPより

14世紀からチェコ(当時はボヘミア)を統治し、現在のプラハ城に近い形に整えたのが「カレル4世」です。
「カレル4世」は、城を整えたばかりではなく、プラハの街(道路、広場、橋など)も整備しました。
彼の治世下でプラハの人口が4倍になるなどプラハは大繁栄の時代を迎えます。
今、プラハが「世界一美しい都」と言われるのも彼の功績が大きいと言われています。
ちなみに、プラハにある名門「カレル大学」やブルタバ川(ドイツ語ではボルダウ川)に架かる最も古い橋「カレル橋」は彼の功績によって、つけられた名前です。

<ハプスブルグ家による統治時代>

NHK・NSPより

16世紀初頭、チェコ(当時のボヘミア)は、オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルグ家)に支配されることになります。
400年間もの間、言語や居住地、職業などで差別され続け、圧政に苦しむ時代が続きます。
ハプスブルグ家の統治時代で特に有名な統治者は「マリア・テレジア」さんです。

<独立を勝ちとった時代>

NHK・NSPより

チェコスロバキア初代大統領に就任し、プラハ城に入場したのはマサリクさんです。
400年間におよぶ、オーストリア・ハンガリー帝国の支配から独立を勝ちとった最大の功労者です。
功績の一部を紹介します。

第一次世界大戦下、チェコ兵は、オーストリア軍の一員として戦わされることになります。
当然、チェコ国内には、そのことに対する強い不満がありました。
そこで、マサリクさんは、ロシア戦線で捕虜になったチェコ兵とスロバキア兵をフランスに移動させドイツ・オーストリア軍と戦わせようとロシアと話し合いを進めていました。

しかし、ロシア革命によりその計画は頓挫(とんざ)してしまいます。
マサリクさんはそれでも諦めず、ユーラシア大陸経由でフランス軍に合流させたのです。

寒さや飢えなど苦難の多い、途方もない計画ですが、連合国側の心を動かしました。

その甲斐(かい)あって、1918年、1次大戦終戦を待たず、連合国側から独立を認められたのです。

チェコにマサリクさんがいたからこそなしえた独立だと思います。
プラハ城の城壁を取り払ったのは、マサリクさんですが、「民衆と為政者は近くあらねばならない」という彼の政治的信念を具現化した形です。
21年あまりの短い治世でしたが、チェコ市民からは圧倒的な人気と高い支持があったということです。

<今度はナチスドイツに>

1939年、チェコスロバキアは、ヒトラー率いるナチスドイツに侵略されてしまいます。

当然、プラハ城にはヒトラーが入城してきました。
マサリクさんが独立を勝ちとってからわずか21年後、マサリクさんがなくなって1年後の出来事です。

ナチスドイツは、1945年全面降伏し、同盟国側が敗戦国となります。
チェコスロバキアは、連合国に領土を保障されましたが、喜んでばかりはいられません。

<ソ連による支配と監視の時代>
戦後すぐに、チェコスロバキアは、ソ連による共産体制の強制が始まります。
いわゆる、ソ連の「衛星」的な国家、東側諸国の一員とならざるを得ませんでした。
チェコ市民にとっては最も暗く厳しい時代でした。
この間、ソ連の傀儡(かいらい)政党(ソ連の言いなりになる政党)の代表者(共産党第一書記)がプラハ城に入り執務をしていました。

<プラハの春><チェコ事件>

チェコ民主化を推進したドプチェク第一書記

1968年、ドプチェクさんが第一書記になり「プラハの春」と呼ばれる民主化を進めたもののあっけなくソ連軍に粉砕されてしまいます。(「チェコ事件」)

*「プラハの春」と「チェコ事件」については、本シリーズのNO3に紹介されているので、詳細は省略します。

その後のチェコスロバキアは、以前にも増して監視、密告など強化され、自由を厳しく制限されるようになります。
この時代を、大多数のチェコ人が「暗黒の時代」と表現します。

<ビロード革命で民主国家へ>

NHK・NSPより

「ビロード革命」が成功し、バーツラフ広場で、チェコ市民は、ハベルさんをプラハ城に入場させようと大合唱です。
プラハ城はチェコ市民にとっての特別な存在であり象徴です。
そこに自分たちの代表者を送り込めるということはチェコ市民にとっては悲願です。

NHK・NSPより

「暗黒の時代」中にも、民主化を求めて抵抗活動を展開した中心がバーツラフ・ハベルさんです。
劇作家としての表現の自由を奪われただけでなく、劇の上映禁止や出版物の指し止め、さらには監禁投獄、強制労働など度重なる弾圧をはねのけての抵抗活動でした。

(その他にも「ビロード革命」にはたくさんの功労者がいます。次回以降、ぜひ、紹介させてください)

1898年、チェコスロバキアは「ビロード革命」により、ソ連による支配からようやく脱却します。
そして、ようやく、ソ連の息のかかった支配者たちをプラハ城から退場させることができます。
チェコスロバキアにとっては、悲願の瞬間です。

新しいリーダー、ハベルさんが新体制における大統領に就任することになります。
プラハ城の旧王宮バルコニーで就任演説している場面です。

ハベルさんの就任演説を聞くために多くのチェコ市民がプラハ城に殺到(さっとう)しました。
上の写真は、プラハ城王宮前広場を埋め尽くし、チェコ市民が熱狂している場面です。

チェコ市民にとっては、苦難の歴史の方が多かったわけですが、その都度、この「プラハ城」が舞台となっていたわけです。
だから、プラハ城は、チェコ市民にとってはなくてはならない象徴なのだと思います。

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~プラハ城へ~

すいませんでした。
だいぶ、歴史的な紹介に偏ってしまいました。
チェコの歴史を調べれば調べるほど面白くなってきてしまい、ついつい、、、
旅の紹介に戻ります。

ホテルから地下鉄を乗り換えてプラハ城の東側に行きます。

プラハ城の入口は、西側だということで、地下鉄駅で降りた後、バスと路面電車に乗り換えながら入口方面に歩きます。

プラハ城をふらブラした後、「レノンウォール(ジョン・レノンの壁)」を見て、「カレル橋」を徒歩で渡る予定です。
丸一日かかりそうな予感がします。

航空写真だときちんと確認できませんが、プラハ城には、城壁がありません。
どの都市でも、どの街でも、昔のお城の周りには城壁が張り巡らされているのが通常ですが、このプラハ城には、城壁のようなものはありません。
先ほど紹介したマサリクが「民衆と為政者は近くあらねばならない」という理由で城壁を撤去したのです。

~プラハ城~

プラハ城が見えてきました。

全体的に黒ずんだ重い感じがします。
その分、歴史の重みも感じさせる外観です。
9世紀から建築が始まり、14世紀の「カレル4世」の時代に、ほぼ現在のような姿に整えられました。

入口には、衛兵(えいへい)がいます。
「微動(びどう)だにしない」とは、このことかと思わせるくらい動きません。

「第2の中庭」にチケット売り場があります。

チケット売り場では、3つのコースがあることが分かりました。
ぼくたちは、「聖ビート大聖堂」さえ入れればいいと思っていました。
「聖ビート大聖堂」はABCのどのコースにも入っていたので、最も安いBコースを選びました。
250コルナ(約1650円)です。
残念ながら、シニア割はなかったです。(悲)

~聖ビート大聖堂~

2つほどの入口を抜けると、いきなり現れる「聖ビート大聖堂」です。
威厳と迫力を感じさせる外観です。

尖塔の高さは96.6mもあり、ゴシック建築の代表格だということです。

大聖堂に隠れて見えませんが、大聖堂の奥に「お城」があります。
(順番的には、もともとあったお城に大聖堂が付け足されたのですが)
現在のチェコ市民は、この大聖堂や王宮博物館、旧王宮などこのエリアにある全ての建築物を「プラハ城」と呼んでいるようです。

聖ビート大聖堂の前で記念撮影です。
ここまでアップだと壁や窓枠、彫像物などの様子がよく分かりますね。

西側から次は南側に向かいます。

こちらの側面は、日当たりがいいのか、理由はよく分かりませんが、全体的に黒ずみが多いようです。

東側へ向かいます。

入口と反対側の東側の様子です。

翡翠(ひすい)色の小屋根が荘厳さにアクセントを与えています

北東の角の様子です。
丁寧(ていねい)に切られたタイル状の石積みが見事です。

立派なステンドグラスがありそうです。
中に入るのが楽しみです。

~聖ビート大聖堂の中へ~

大聖堂の主祭壇に向かう長い廊下状の通路です。

予想通り、見事なステンドグラスです。

「聖ビート大聖堂」を充分堪能しました。
これから旧王宮方面に向かおうと思います。

(第5話、終わりです)

(第6話:「うれしい再会」です)

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