シリーズ16の7<チェコ・プラハ編>NO15:最終回
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DAY27~29:2023年8月23日(水)~25日(金)その1
~プラハ空港へ~
いよいよ、この旅の最終日です。
プラハ空港から飛行機に乗ります。
プラハ発が11時05分なので、「空港9時到着」を目標に逆算してホテルを出ました。

7時半にはチェックインを済ませて、「プラハ中央駅」に向かいました。

プラハの国際空港は、「バーツラフ・ハベル・プラハ国際空港」という名前です。
世界の各主要空港はその都市に所縁(ゆかり)のある人物の名前を冠(かんむり)につけるのが流行(はや)り?のようです。
日本では、高知空港が「土佐龍馬空港」、鳥取空港が「鳥取砂丘コナン空港」などと命名していますが、世界に比べると多くはないようです。
(ぼくが知る限りこの2つだと思います)
成田は相変わらず「新東京国際空港」だし、羽田は「東京国際空港」という味もそっけもない名前です。
大阪など関西の空港も同様です。
また、話がそれて来てしまったようです。
話を戻します。

「バーツラフ・ハベル・プラハ国際空港」の「バーツラフ・ハベル」さんは、既にご存知のあのハベルさんです。
「プラハの春」から「チェコ事件」の後、「ビロード革命」で独立を勝ちとるまでの間、ソ連による支配下でも独立を諦(あきら)めず、逮捕監禁、弾圧に負けず闘い続けたあのハベルさんです。
まさに、チェコ人にとって独立の英雄です。
チェコ人、万民が納得する命名だと思います。
~プラハから台北へ~

プラハから台北(たいぺい)までの搭乗券です。
プラハ発は11時05分です。
帰りのトランジットは台北桃園国際空港(以下、台北空港に略します)です。
台北空港着は翌日の早朝5時35分です。
約17時間半のようですが、台湾とチェコの時差は7時間なので実際は、10時間半の空の旅です。
~プラハ空港の新しい手荷物検査方法~
プラハ空港には、予定通り着き、手続きもスムーズに進みました。
でも、一つだけ、他の空港と違ったことがありました。
それは、機内持ち込みの手荷物検査が搭乗口ごとで行われていたことです。
大多数の空港は、大きめの荷物を空港カウンターで預けた後、手荷物検査場に一斉に入場して、あれこれ調べられますが、それが一斉ではないのです。
各便ごとの搭乗口(ぼくたちの飛行機の場合A6)に入る時に手荷物検査をするのです。
各搭乗口でセキュリティのレベル差が生じないのかなと、少しだけセキュリティ面の不安はありましたが、それ以外は、非常に合理的でスムーズに物事が進むので、素晴らしいシステムだと思いました。
今後増えていきそうな予感がします。
~全てが順調に進んでいた矢先の呼び出し~
飛行機に乗った瞬間、寝落ちしたのだと思います。
空の様子もどんな食事が出たかなど全く記憶も記録もありません。
特別なことは起こらず、至ってスムーズに物事が進んでいった証拠だと思います。

早朝5時35分に台北桃園国際空港に着きました。
昔来た台北松山空港とは全く趣が違います。
一言で言えば、「ビッグ」で「近代的」です。

乗り換えルートも迷うことなく順調です。
9時に台北空港を飛び立つ予定なので、この空港にいる時間は、約3時間です。
ちょうどいい感じの乗り継ぎ時間です。
往きのチャンギ空港が45分くらいの乗り継ぎ時間しかなかったので、かなり忙(せわ)しい感じでした。
少し余裕があるくらいの方が気持ち的に楽です。

時間潰しに、空港のイベントコーナーや買う予定もない免税店などをふらふらしていると、いきなり何か聞いたことのある名前がコールされたような気がしました。
いきなり、ぼくの緊張感が高まりました。
「中華航空CI100便にご搭乗予定の宮田彰様、搭乗口B2まで至急お越しください」
と、英語と中国語で何度も放送しているではありませんか。
ぼくは、何が起こったのか?なぜ呼び出されなければいけないのか?さっぱり見当が尽きません。
何も悪いことをした覚えはないし、良いことをしても呼ばれるわけはないし、、

無視するわけにもいかないので、急いで、B2搭乗口に行きました。
<またまた危険物!>
B2搭乗口にいた中華航空の台湾人と思われるグランドスタッフの女性2人に
「ぼくが、宮田です。何か御用ですか?」
と尋ねました。
ぼくは、中国に4年も暮らしていたのに全然中国語が上手にならなかったので、こんな時にもとっさに出て来るのは、英語です。
彼女たちの母国語(中国語)でしゃべれたら、もっとうまく意思疎通ができたのと思うと情けない思いです。
以下、会話のやりとりを記します。
「あなたのスーツケースに危険物が入っています」
「え?え!危険物!」
「このままだと、スーツケースもあなたも飛行機に乗れません」
「冗談じゃない!この飛行機に乗れないということ?」
「そうです」
「どうすればいい?」
「1日か2日台北に滞在して別の飛行機を予約して帰ってもらうしかありません」
「冗談じゃない!そんなことはできない」
「それができないなら、一旦日本に帰った後、1週間くらいしたら、荷物を取りに来ていただく方法もあります」
「どっちもできない!もう少し詳しく説明してほしい。今、ぼくのスーツケースがどこにあるのか?とか、ぼくのスーツケースの何が危険物なのか?など具体的に説明してください。詳しいことが分からないのに、あなた方の指示には素直には従うことはできない」
ここまででも、なかなか、お互いの英語能力が事態の大きさに追いつかないので、意味を把握するのが大変でした。
特に、ぼくの個人的な思い込みだと思いますが、中国語を母国語の人のしゃべる英語が聞き取りにくいのです。
中国語っぽく舌を動かし過ぎるのかもしれませんが、上海にいる時から、中国人のしゃべる英語が苦手でした。
ちなみに、ぼくの限られた海外経験をトータルすると
聞き取りやすい英語を話す国ランキングは1位:フィンランド、2位:ドイツ、3位:トルコです。
逆に最も聞き取りにくい国は、1位:中国、2位:アメリカ、3位:イギリスです。
(2位3位は、ぼくの英語能力のなさが原因なので仕方ないです)
どうでもいい情報はこれくらいにします。
ぼくの置かれている事態は緊急です。
話を戻します。

<日本語のできるスタッフを、、>
ぼくは、台北に滞在する案も、再度スーツケースを取りに来る案も、どちらも、どうしても納得できないし、承服もできません。
ここで、この台湾人のグランドスタッフ2人と話をしていても徒(いたずら)に時間だけが過ぎていきタイムアウトになるのが怖かったので、
「とにかく日本人か日本語のできるスタッフを呼んでほしい」
と何度もお願いしました。
嫌そうな顔をする中華航空のグランドスタッフに何度もお願いすると、何とか了承してもらえました。
彼女たちが、スタッフ間無線で日本人スタッフを要請してくれた時には、本当にうれしかったです。
そして、
「日本人スタッフ、来てくれ!」
と神にもすがる思いでした。
無線で何度かやり取りした後、日本人のグランドスタッフが表れた時には、飛び上がるくらい喜びました。
日本人のスタッフに事情を話し、彼女は事態の確認を無線で各所にしてくれました。
「宮田様の荷物の中にあるモバイルバッテリーが引っかかっているようです。
お荷物は、今、この空港のセキュリティールームにあるようです」
ぼくは、
「よかった。この空港内にあるのですね?プラハからの飛行機から次の飛行機に乗せ換える時に危険物扱いされたのですね?」
と、ようやく具体的に事態が呑み込めました。
「だったら、そのセキュリティールームに連れて行ってください。スーツケースからそのモバイルバッテリーを取り出して、手荷物に入れます。それで何も問題ないでしょ?」
とお願いすると
「その通りだと思います。お願いしてみるので少しお待ちください」
と日本人のグランドスタッフが応えてくれました。
<モバイルバッテリーとは>

ちなみに、そのモバイルバッテリーというのは、このような物です。
もちろん知っている方の方が多いと思いますが、念のため紹介します。

電源がなくても、パソコンやスマホに充電ができる便利なものです。
旅先で1つ持っていると非常に安心です。

チャージャー本体の電圧が下がってきたら、電源に繋ぎ充電すれば、使い続けることができます。
ちなみに、名称は、「モバイルバッテリー」「モバイルチャージャー」などメーカーによって様々です。
リチウム電池が内蔵されている場合が多いので、発火の危険性から問題視する空港や航空会社があるといいます。
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<溢れ出る愚痴(ぐち)>
ぼくにも、言いたいことがたくさんあります。
そのモバイルバッテリーを問題にするなら、プラハ空港で問題にしてほしかったです。
最初の飛行機に乗る前にスーツケースから出させて手荷物として乗せるべきだと思います。
プラハ→台北も台北→東京も同じ航空会社(中華航空)ですよ。
一方がよくて一方がダメなんておかし過ぎます。
それに、愚痴ついでにもう二つ。
新潟県から長野県まで「もう一度、後で荷物取りに来てくれ」と言われているんじゃないわけですよ。
日本から台湾ですよ。
そんな気軽に荷物一つのためにわざわざ行けるわけがないと思いませんか?
ましてや、もう1泊か2泊しろというのは乱暴すぎます。
提案自体が、一方的過ぎます。
全く話になりません。
以上の怒りにも近い愚痴は、決して台湾人のスタッフにも日本人のスタッフにも言いませんでした。
同行したSくんにだけは、何度も愚痴りましたが、、
この気持ちは、今でも全く変わっていません。
<日本人スタッフに感謝>
日本人のグランドスタッフの女性が、ぼくの窮地(きゅうち)を理解してくれて、いろいろ、掛け合ってくれたようです。
「宮田様このような方法でいかがですか?」
と提案してくれました。
「セキュリティールームに宮田様ご自身がこれから取りに行くのは時間的に無理だということです。
ですが、そこのスタッフが宮田様の代わりにスーツケースを開け、モバイルバッテリーを取り出し、廃棄させていただくという方法ならすぐにスーツケースも載せられますし、宮田様にも飛行機に乗っていただけます。
いかがでしょうか?」
もちろんぼくに異論はありません。
もう一度、台湾に来る時間的費用的な負担を背負うより、1台のモバイルバッテリーを失うことの方がダメージは少ないに決まっています。
「ありがとうございます。その通りにしてください」
ということで、スーツケースの解錠番号を知らせたり、スーツケースのどのあたりにあるのかを教えたりしました。
そして最後に、スーツケースを開けてもいいということ、モバイルバッテリーを廃棄してもいいということ2点の確認書にサインをしました。
これで、ようやく、このトラブルに幕が降ろされました。
最後の最後にこんなトラブルに遭遇するとは、思ってもみませんでした。
ぼくは、普段からモバイルバッテリーとか、ビデオのリチュウムバッテリーが引っかかることは十分承知しているので、手荷物に入れるようにしてきました。
特に、中国系の航空会社は、バッテリー系には厳しいので、上海の往復の時には絶対にスーツケースの中に入れるなんてことはしませんでした。
それが、ちょっとした気の緩みでこんなことを引き起こしてしまいました。
本当に情けないです。
とにかく、ぼくのために献身的に尽力してくださった日本人のグランドスタッフの女性に大・大・大感謝です。
~台北から成田へ~
モバイルバッテリー事件のせいで、あっという間に乗り継ぎ時間が過ぎてしまいました。
3時間という時間的余裕があって本当によかったです。
もしこれが、45分だったら、、
考えただけで、ゾッとします。
予定通り、朝9時に台北空港を飛び立つことができました。

成田空港に着いたのは予定通り13時25分です。
時差が1時間あるので約3時間半の空の旅でした。
とにかく、無事日本に戻って来ることができホッとしました。

成田空港駅→京成上野駅→上野駅から新幹線→上越
の順で無事帰宅することができました。
~プラハの総括~
プラハでは、爆弾犯人に間違われたり、危険物のせいで台北に置き去りの可能性があったりと相変わらず、トラブル続きだったように思います。
でも、旅そのものは、非常に充実していたし、満足感で一杯です。
チェコの歴史を中心に旅全体のコースを決めたことが、その要因だと思います。
「バーツラフ広場」
「プラハ城」
「レノンウォール」
「カレル橋」
「スメタナ像」
「ヤンフス像」
など、どの観光地にも深い歴史的価値を感じながら観光することができました。
やはり、事前に歴史的な背景を少し学習していくことによって、その観光地を発見した時の喜びが倍増することが分かりました。
その中で、「ベラ・チャスラフスカ」さんと「マルタ・クビシュバ」さんの所縁(ゆかり)のある地を訪れられなかったことが残念で仕方ありません。
<体操の金メダリスト ベラ・チャスラフスカさんの闘い>

チャスラフスカさんは、60才以上の方ならご存知の方が多いと思います。
東京オリンピックやメキシコオリンピックで合わせて7つも金メダルを獲得したチェコスロバキアの体操選手です。
体操選手としては有名ですが、チェコ事件からビロード革命までの間、ソ連による支配に敢然と抵抗したことはあまり知られていないようです。

メキシコオリンピックは1968年10月開催ですから、まさに「チェコ事件」の2か月後です。
「プラハの春」をソ連に粉砕された直後です。

彼女は、ある種目で、何と、ソ連の選手と同点1位となってしまうのです。

彼女は、「チェコ事件」で打ちひしがれる祖国へのメッセージとして、ソ連の国家が流れている際、俯(うつむ)くという抗議行動に出たのです。

オリンピックでのこの行為や「2000語宣言」(共産党の権力独占を非難し退陣要求する宣言)への署名などによって、ソ連や自国共産党からの弾圧が始まりました。
試合や練習環境を奪われ、選手生命が絶たれました。
さらに、あらゆる職から追放されたり、拘束(こうそく)監視という生活が長く続きました。

しかし、自説を曲げることなく闘い続け、遂には、「ビロード革命」を勝ちとり、ハベル大統領の政策秘書官として大統領を支え、チェコ再建に力を尽くした偉大な人物です。
総括というより、またまた、チェコの歴史的な話になっています。
すいません。
もう一人だけお付き合いください。
(こんな歴史的な話ばかりしていると、読者が減ることは承知しています。
でも、不当な権力に抗(あらが)い、闘い続けたこのような人々が、どうにも、ぼくは大好きなようです)
<歌でチェコを鼓舞し続けたマルタ・クビシュバさんの闘い>

マルタ・クビシュバさんです。
「プラハの春」の前後、「マルタの祈り」やビートルズの「ヘイ・ジュード」(チェコ語に意味歌詞改変)を歌い、チェコ人を鼓舞するカリスマ的な人気歌手となりました。
(YouTubeなどのSNSでクビシュバさんの歌が今でも聞くことができます)
「プラハの春」が粉砕された後は、当然、彼女は弾圧されてしまいます。
音楽界を追放されたり、働き口を閉ざされたりし、生きるのもやっとの日々が続きます。
そんな、どん底の中でも抵抗勢力を励まし鼓舞するために歌い続けることや自由を求める闘争はやめませんでした。

「ビロード革命」成功の精神的な支え、陰の功労者としてバーツラフ広場で「マルタの祈り」を歌うマルタさんです。

革命の象徴の歌として歌い続けられた「マルタの祈り」は、チェコ人の胸を打ち、「バーツラフ広場」を埋め尽くす万人の間で大合唱となりました。
一人の歌手が、巨大な権力に立ち向かい続けた意志と勇気にチェコ人は大きな拍手も忘れなかったということです。
このチェコの旅を通して偉大な人物を何人も知ることができて本当によかったです。
この旅を通してその人の生き方を学び、その人と観光地とのつながりを知ることによって、旅そのものの密度を濃くすることができたように思います。
最後に、もう少し慎重な行動と昼酒の自粛が必要なことも十分過ぎるほど学びました。
(第15話:最終話、終わりです)
<お知らせ&次回以降の予告>
明日から1ヶ月程度、当ブログのアップをお休みさせてください。
理由は、
①明日から「只見線」(新潟県小出駅から福島県会津若松駅)を巡る旅に出ます。
ブログの作成とアップができない所にいると思います。
②これまでの当ブログを読み返し、誤字脱字や体裁の修正などをします。
特に、シリーズ1の「イスタンブル」の体裁が「ひどい」です。
初めてのブログの作成ということもありますが、今読み返すと「ひどい!」の一言です。
目次があるのにその目次をクリックしても、リンクが張られていないので、そこに飛ばないとか、文の途中で変な改行がいくつもあるとか、文字の大きさや色が変とか、、、
「ひどさ」を挙げればきりがありません。
その「ひどさ」を少しでも改善する期間にあてたいと思います。
③今年、秋から冬にかけて「なんちゃって世界1周」を計画しています。
今のところ、「インド」→「エジプト」→「メキシコ」→「南米のどこか一か所」→「オーストラリア」→「日本」と世界1周しながら5大陸巡ろうと目論(もくろ)んでいます。
実現に向けて今から準備をしたいと考えています。
<次回以降のお知らせ>
再開はおそらく6月17日頃だと思います。
再開後は、
①今回のヨーロッパの旅のまとめのシリーズを2,3話、書かせてください。
今回の旅、8か国8都市を通して、ランキング形式で総括したいと思います。
例えば
・「最も住んでみたいと思った都市ベスト3」
・「最も刺激的だった都市ベスト3」
・「最も親日的だった都市ベスト3」
・「最も物価の安かった都市ベスト3」
・「この旅のベストショット5枚(世界遺産編)」
・「この旅のベストショット5枚(建築物編)」
・「この旅のベストショット5枚(自然風景編)」
・「この旅のベストショット5枚(トラブル編)」
・「この旅のベストショット5枚(出会った人物編)」
など観点をいくつか決めて総括すると面白いし、旅の振り返りにもなるのかなと考えました。
②黒柴マロンとの旅
遠出は、世界遺産白川郷だけですが、黒柴マロンの様子を紹介してほしいとの要望ももらっているので、日常の様子も兼ねて白川郷の旅の紹介をしたいと思います。
③只見線の旅(明日から行く旅です)
どんな旅になるかは、まだ全然予想ができませんが、鉄道路線をメインにした旅は、初めてなので面白そうな気がします。
④中国四川省・黄龍九塞溝の旅
⑤カンボジア・アンコールワットの旅
⑥ポーランド・アウシュビッツの旅
⑦「なんちゃって世界1周」の計画準備進捗(しんちょく)状況の報告
など臨機応変に続けていきたいと思います。
再開後も引き続きのご拝読、よろしくお願い致します。
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