シリーズ16の7<チェコ・プラハ編>NO12
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DAY25:2023年8月21日(月)その3
~リュックを取り戻すために、、~
「スパニッシュ・シナゴーグ」に戻って来ましたが、規制線が張られ、警察関係者以外立ち入り禁止状態になっています。
簡単には入れそうもありません。
この原因は、九分九厘、ぼくのリュックです。
ぼくのリュックの中に爆弾とか爆発物、危険物などが入っていると思われているようです。
この旅、最大のピンチです。
<このままだとリュックは処理>
ぼくは、規制線の外で考えました。
このまま待っていると、爆発物処理班が来て、ぼくのリュックを押収し、どこかで廃棄処理されてしまいます。
そうなると、無実の証明ができないまま、リュックが中身ごと、ぼくの前から消え去ってしまいます。
だから、ここは勇気を振り絞って、規制線の中に入り、リュックの中に何も怪しいものは入ってないことを証明するしかないと思いました。
<勇気を振り絞り規制線の中に>
ぼくは、急激な動きは危険だと考え、なるべくゆっくりと、規制線の中に入りました。
怪しい者ではないことを印象付けるため、両手を挙げました。
案の定、制止するために警察官が猛然とダッシュで駆けて来ました。
その警察官に両手を挙げたまま、大声で
「このシナゴーグの中にリュックを忘れた日本人です」
と告げました。
<リュックの確認作業>
その警察官には、ぼくの英語が通じました。
その警察官の表情が少し和らぐのが分かりました。
警察官たちとリュックの確認作業が始まりました。
リュックの「置き忘れた場所」「色」「形」「大きさ」「メーカー」など警察官たちに細かく説明しました。
その全てが警察官の持っている情報と一致しました。
ようやく、礼拝堂に置いてある怪しいリュックが、ぼくの物であることが信じてもらえましたようです。
<礼拝堂へ>
それでも、警察側は、まだ、ぼくを全面的には信用していません。
数人で透明な盾みたいなもので前面を防御しながら、恐る恐る礼拝堂に入って行きました。
ぼくが、礼拝堂のベンチの足元にあったリュックを発見し、うれしさのあまり歩み寄ろうとすると、「ストップ!」と制御されました。
置き忘れた場所も分かるのだから、信用してもらうしかありません。
そして、爆発物が入っていないことは明白です。
こんな近くで、爆発したら自分自身が被害に遭ってしまいます。
それでも、イスラム教の「ジハード」のようなことを警戒したのか、ぼくがリュックを取りに行こうとすると、周りの警察官は「ストップ」とか「スロウリー」というだけで、透明の盾の向こうから出てはきませんでした。
<ようやくリュックが手元に>
ぼくは、盾に囲まれた中、一人リュックを取りに行きました。
ぼくは、わざと大袈裟(おおげさ)にリュックを開け、
「水!」「パン!」「スケッチブック!」「ペン!」、、
などと英語で説明しながら、中の物を上げて見せました。
リュックの中が空になり、リュックを逆さにしてバタバタ振った時、ようやく、警察官が盾を下げ、ぼくの所に来てくれました。
<警察官からの身元確認>
リュックを取り戻した後に待っていたのは、ぼくの身元確認です。

警察官から、パスポート提示を求められました。
顔写真、国籍、名前、生年月日などをチェックされました。
ぼくは、この旅以外の海外旅では、パスポートを持たずに観光をしていました。
でも、この旅では「シニア割」が適用される場合があるので、常にパスポートを持ち歩くことにしていました。
そのことが、幸いしました。
身分証明にはパスポートが一番です。
こんな時に役に立つとは何とも皮肉なものです。

ぼくの身元が確認されて、単なる旅行者であることが分かってもらえました。
<警察官からの説諭(せつゆ)>
しかし、最後に説諭が待っていました。
説諭とは、簡単に言うと「説教(せっきょう)」です。
「あなたが、不注意で荷物を置き忘れたことにより、観光客全員に迷惑がかかった。
そして、多くの警察官が駆り出され、たくさんの業務が発生した。
そのことを重く考えて、これからは十分注意して行動してほしい」
ということを言われたと思います。
全ての英語が聞き取れたわけではないので、意訳(いやく)です。
ぼくは十分反省していたので、反論などせず、反省の気持ちを示すため、うなだれたまま説諭を聞いていました。

<観光客にも謝罪の意を>
警察官から解放されて、シナゴーグから外に出ました。
道路の向こうの規制線の外側にいた多くの観光客や野次馬の人々と目が合いました。
「ぼくのためにご迷惑をおかけしてごめんなさい」
と大きな声で謝罪の気持ちを言葉にしました。
もちろん日本語です。
日本語なので意味が分かるはずはないのですが、最後に帽子をとって大きな動作で深々とお辞儀をしたことで、ぼくの気持ちが伝わったようです。
大きな拍手が沸き起こりました。
恥ずかしかったですが、温かいプラハの皆さんの気持ちに触れることができて、照れくさかったけど、とても嬉しかったです。
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~2度目の「文化博物館」へ~
リュックを取り戻し、Sくんの待つ「文化博物館」へ急ぎました。
Sくんに事の概略(がいりゃく)を話すと、
「そりゃ大変だったな。
まさかとは思ったけど、爆弾犯人に間違えられたんだな。
でも、リュック戻ってきてよかったな。
もう少し気付くのが遅かったら、リュックごとなくなってたかもしれなかったからな」
と心配してくれました。
確かに、Sくんの言う通りです。
もたもたしていて、「スパニッシュ・シナゴーグ」に行くタイミングが遅れていたら、リュックごとなくなっていたところです。
リュックごとなくなっていたら、平和交流のスケッチブックがなくなるということです。
スケッチブックがなくなるのが、一番のショックです。
交流した人たちと、もう一度会うことも、書いてもらうことも、ほぼ絶対ありえません。
一人一人のメッセージに思い出が詰まっています。
リュックが戻ってきたということは、ぼくにとって、かけがえのない物が戻ってきたことです。

その後、しばらく、「文化博物館」で見残しを見て過ごしましたが、全く、目に入って来ません。
正確に言えば、目では見ているけれど、何も頭の中に残っていないという意味です。
緊張感から解放されたとはいえ、頭の中では警察官の顔ばかりが浮かびます。
1度目の「文化博物館」の時には、まだ、アルコールが残っていて、眠気がありましたが、今は、全くありません。
いつの間にか、アルコールが体から吹き飛んでいました。
昼酒(ひるざけ)は、くれぐれも気を付けなければいけませんね。
~マイゼル・シナゴーグへ~
その後、もう少し時間があったので、共通券が使える「マイゼル・シナゴーグ」へ行きました。

「マイゼル・シナゴーグ」は「旧市街広場」に行く途中にあります。

「マイゼル・シナゴーグ」はマイゼルさんが個人的に建てた珍しいシナゴーグだと出ています。

外観がおしゃれなシナゴーグです。
でも、中に入ったのかどうか覚えていません。
外観の写真は1枚↑ありますが、中の写真は1枚もありません。
共通券があったので、おそらくは入館したとは思いますが、全く記憶がありません。
そのことでも、まだ、精神的に立ち直っていないことが分かります。
~謎の動画から推理~
その後のことも、全く記憶に残っていません。
どこで?何を食べて?どのようにしてホテルに帰ったか?記憶にありません。
毎日書いていた「旅メモ」にもその部分が抜けています。
要するに記憶にも記録にも残っていいないということです。
余程の精神的なダメージ?疲労?安堵感?があったのでしょう。

その中で手掛かりになりそうなのが上の写真です。
上の写真は、動画をスクショしたものです。
「ユダヤ人地区」を出てから翌日の朝までの間、この3秒くらいの1本の動画しか残っていません。
何を撮ったのか?何のために撮ったのか?全く記憶がありません。
操作間違いで撮ったかのような動画です。
ただ、動画の説明(自動的な記録)には、「プラハ」「新市街」「8月21日」「19時18分」という情報だけが残っています。
そのわずかな情報からざっくりと推理すると、
①「新市街」なので、ホテルの近くであろう。
②「19時18分」なので、ホテル近くに帰って来たのが夕方7時過ぎなのだろう。
③この動画しか撮っていないことから、途中、特別な出来事などなく、ホテルに帰って来たのであろう。
④ホテルに帰って来るなり、すぐに寝てしまったのであろう。
⑤暴走族のことなども忘れて眠りこけ、朝を迎えたのであろう。
この程度しか、推理できません。
そのうち、Sくんに確かめてみたいと思います。
「茫然自失(ぼうぜんじしつ)」とは、こんな時に使う言葉なのでしょうか?
明日は、この旅最後の観光日です。
どんなふうに過ごせばいいのでしょうか?
(第12話、終わりです)
(第13話:「裸のブルースリーに、、」です)
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