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~2晩目の爆音は?~

やはり、深夜から早朝にかけて、
ブオーン!ブオーン!ブオーン!
ヒューイン!ヒューイン!ヒューイン!
という爆音で何度か?何度も?目が覚めました。

理由が分かっているので、今夜は、いちいち、起きて外を見るということはありませんでした。
だから、夢か現(うつつ)か区別がつかないような変な時間が長くなってしまいました。
自分がバイクで暴走して警察に追われていたり、カレル橋からダイブしてブルタバ川の上をバイクで走行していたり、、、
映画のような変な夢を見続けました。

要するに、今日もすっきりと目覚めることはできませんでした。
プラハでは、日曜日の深夜も暴走族と警察との追いかけっこが何時間も続いたということです。

日本が経済的にも豊かになり、若者たちが比較的自由にバイクや自動車を手に入れられるようになり、暴走族が社会問題化したのは、1980年代頃でした。
敗戦から35年くらい経った頃です。

今プラハでは、ビロード革命からちょうど35年です。
自由を手にして35年。

偶然かもしれませんが、もしかしたら、的を射ているかもしれません。

妄想を聞いてください。

ぼくは、決して暴走行為を認めているわけではありません。
暴走行為は、社会悪だということを予め断っておきます。
でも、若者が理由なく暴走行為ができるほどチェコという国が自由になったと言えるのではないでしょうか?
ソ連の支配体制の中では決してできるものではありません。
警察どころか軍が出て来て、鎮圧されて、まかり間違えば、「死」さえあります。
チェコの若者たちが、自由に自分を表現できるようになったことの証(あかし)なのではないでしょうか?
自分をどう表現していいか分からない若者たちが、日夜、爆音を轟(とどろ)かせながら街を走り回る気持ちは多少なりとも理解できます。
(すぐにやめてほしいという気持ちに変化はありませんが、、)

だからといって、この寝不足が、治るわけではありませんが、「暴走行為」から一つの社会問題について考える糸口になったことは、ちょっとだけ、いい経験になったと思います。

今日は、バスの確認をしてから、旧市街広場経由で「プラハ・ユダヤ人街」へ行く予定です。

~空港バスの確認~

あさっては、いよいよこの旅の最終日です。
日本に帰るために、プラハ空港へ行かなければいけません。
空港へ行くことは、一本の国際バスに乗り込むことよりは簡単な気がします。
でも、この旅の中で、あったはずのバス路線がなかったり、列車そのものがなくなっていたり、、ということが当たり前のように起こりました。
なので、念には念を入れて、ホテルから空港バスの乗り場までは、確実に行けるように、下見をすることにしました。

地下鉄の乗り場に行くまでのエレベーターを発見しました。
最終日は、重い荷物を持っているので、これがあると非常に便利です。

プラハ中央駅の上部にある「空港バス」乗り場です。
ぼくたちが乗る8時発のバスは確かに走っていることを確認しました。
ホテルから乗り場までかかる時間も確認できました。

~旧市街広場からユダヤ人地区へ~

プラハ中央駅前広場でお土産物屋の屋台が出ていました。
観光地で買うより相当安いことに気付いたので、Sくんに教えると、Sくんは、かなり真剣にお土産選びを始めました。
時間がかかりそうなので、集合時刻と場所を決めて、ぼくは、「駅中(えきなか)」をふらブラしていました。

11時頃、「旧市街広場」に向かいました。
地図の青色矢印の辺りです。
地下鉄C線からA線に乗り換えて、2駅目で降りました。

しばらく歩いていると「旧市街広場」に出ました。
このあたりの道は、歩いていると自然に「旧市街広場」に行くようです。
今回、「旧市街広場」は「ユダヤ人地区」へ行くためだけの通り道です。
明日も来る予定にしているでので、ゆっくり観光するのは明日にします。

~また、中華!~

お腹が減ってきたし、喉が渇いてきたので、お店に入ることにしました。

漢字につられて、また中華レストランに入りました。
今度は、席に着く前に生ビールがあるかどうか確かめました。
「レノン・ウォール」で飲んだ生ビールが忘れられません。
チェコにいる間になるべく多くの生ビールを飲もうと考えています。

まずは、冷たい生ビールです。
ここの生ビールもなかなかの美味です。

500mlのラインきっちり液体が入り、その上にしっかり泡が乗っています。
こんなところにもチェコ人の生ビールへのこだわりが感じられます。

つまみが来ないうちに待ちきれず、乾杯です。
完全にチェコビールに、はまってしまったようです。

食事が来てからも、さらにビールの注文をしてしまいました。
午後からの観光に支障が起こらなければいいですが、、

チンジャオロースーみたいなプレート料理ですが、ぼくたちにとっては、料理は、すでにおつまみと化しています。(笑)

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~ユダヤ人地区へ~

またまた、3杯の生ビールを飲んでしまいました。
いい気持ちになり、午後の観光を始めました。

「旧市街広場」からブルタバ川方面に歩くと、すぐに「ユダヤ人地区」(赤色矢印)があります。

ユダヤ人地区は、かなり、広範囲です。

かって、ユダヤ人ゲットーがあったエリアに「ユダヤ人地区」が、時間をかけながら、現在のような形で出来上がっていったようです。

「地球の歩き方」には紹介されていませんが、東ヨーロッパ、特に、プラハ周辺にユダヤ教徒が集中したのは、黒死病が一因だとする説があります。
14世紀半ばにヨーロッパで感染爆発した黒死病の原因がユダヤ人のせいであるという風評が広がり(もちろん根も葉もないデマですが、、)ヨーロッパ各地で反ユダヤ主義が広がってしまいます。
その中で東ヨーロッパでは、黒死病の伝染が少なかったおかげで、それほど強いユダヤ人排斥(はいせき)運動が起きませんでした。
そこで、ヨーロッパ各地から逃れてきた多くのユダヤ人がプラハを中心とした東ヨーロッパに移住してきたのです。

その後、プラハでもユダヤ人の迫害や虐殺が何度も行われてきましたが、時の為政者(いせいしゃ)が政治的財政的に行き詰まるとユダヤ人の資金力に目を付け、呼び寄せるというようなことが繰り返されてきたと言われています。

プラハのユダヤ人に決定的なダメージを与えたのは、やはり、ナチスドイツです。
ナチスドイツ期には徹底した「ユダヤ人狩り」が行われ、プラハにいたユダヤ人約5万5000人のうち3分の2以上がアウシュビッツ強制収容所などに送られ、殺害されてしまいました。

やはり、ここプラハにも、ユダヤ人の悲しい歴史がありました。

一つ一つのシナゴーグなどに入るには、共通入場券が便利なようです。

チケット売り場を発見しました。
日曜日なので、窓口は、かなり、混んでいました。

チケット売り場から周りを見回しても、どこからどこまでが「ユダヤ人地区」なのかははっきりとは分かりません。
整備が進み、景観的にもプラハの街並とよく調和しています。

ユダヤ人地区の案内看板に翻訳アプリのカメラを当てたものです。

共通入場券の表面です。

共通入場券は、550コルナ(約3700円)です。
少し高い感じがしますが、これ1枚あれば8か所のシナゴーグ等に入れます。

各シナゴーグの前に置いてある「キッパ」です。
ユダヤ教的には、シナゴーグに入る際、男性は「頭を見せてはいけない」という決まりがあります。
頭を隠すことで神に対する謙遜の気持ちを表明するという意味があるらしいです。
だから、異教徒であっても、このようなキッパを頭にのせ、入場しなければなりません。
帽子をかぶっている人は、帽子を被ったままなら入場できます。

ちなみに、キリスト教の教会は、全くその逆で、帽子をかぶっているのは神に対して不遜(ふそん)に当たるとして、帽子をとるように促される場合が多いです。

いろいろなしきたりがありますね。
まさに、「郷に入れば郷に従え」です。

~ピンカス・シナゴーグ~

まずは、「ピンカス・シナゴーグ」に入りました。
プラハで2番目に古いシナゴーグです。

シンプルな装飾の中にも、お洒落な屋根の形状や祭壇を取り囲むレリーフが印象的です。

遠目には、壁の細かな模様だと思って眺めていましたが、近付くにつれ、それが模様ではなく、文字だということに気が付きました。

壁を拡大したものです。
氏名と生年月日が記されています。
ほとんどの方の死没年が1944年です。
そのことから、ナチスドイツのホロコーストによる被害者の墓碑銘であることが分かります。

ホロコーストにより命を奪われた子どもたちの絵や手紙なども展示されています。
胸が締め付けられます。

アウシュビッツに向かう時に略奪されたスーツケースです。
ユダヤ人は、命ばかりではなく、財産も誇りも奪われました。

~ユダヤ人墓地へ~

ピンカス・シナゴーグの裏手には「ユダヤ人墓地」があります。

このユダヤ人墓地はユーロッパ最大級だということです。

15世紀から18世紀までプラハに在住していたユダヤ人の墓地だということです。

遠くに見える観光客の方々と比べると墓碑の大きさと数の多さが想像できるかと思います。

~「クラウセン・シナゴーグ」&「儀式の家」へ~

「ユダヤ人墓地」から出て来ると右手側に「クラウセン・シナゴーグ」、左側に「儀式の家」があります。
真ん中に見えるのが「ユダヤ人墓地」からの出口の扉です。

案内には、チェコ語と英語で表記してあります。

「クラウセン・シナゴーグ」の内部です。

ユダヤ教の経典やユダヤ人の生活スタイルが分かる生活用品などが展示されています。

「儀式の家」は、ユダヤ人の葬儀や死体置き場として1900年代初頭に建築されました。
外観がとても美しい建物です。

~スパニッシュ・シナゴーグへ~

いよいよ、問題の「スパニッシュ・シナゴーグ」に到着です。

何が「問題」かというと、チェコのブログ冒頭に「爆弾犯人」に間違われるという表現があったかと思います。
まさにその情けない事件が起こるのが、ここ「スパニッシュ・シナゴーグ」なのです。

詳細は、次回に譲りますが、思い出すたび、情けなくなってきます。

(第10話、終わりです)

(第11話:「爆弾犯人?に」です)

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