<広告です>

【Trip.com】で予約

~王宮から国会議事堂へ~

「王宮の丘」の観光を堪能しました。
次は、「ドナウ川」の向こうの「国会議事堂」を目指します。
「国会議事堂」へは、目の前のくさり橋を渡らなければなりません。

写真は「ケーブルカー」です。
このケーブルカーで下りていけば、「王宮」から「くさり橋」へ最短で戻ることができます。
でも、ぼくたちの持っている交通カードでは乗れないということが分かったので、歩いて「くさり橋」まで行くことにしました。

地図を見ると、ケーブルカーに乗らなくとも歩いて帰れる道が何本もあります。
この頃には、すっかり、ブダペストの街の大フアンになってしまって、この街なら歩き回っても損はないという気持ちになっています。
炎天下でも、少しくらい遠回りでも、いろいろな所を見て回りたいという気持ちです。

途中の絶景ポイントでは、のんびり絶景を楽しみながら進みました。

途中には、こんな急坂もあります。
もちろん、高齢者や子ども用の迂回路(うかいろ)もあります。

こんな急坂を下りているのは、ほとんどが若者です。
ぼくたちは、「年寄りの冷や水」ではないですが、急坂を軽やかに?下りてきました。
勘違いかもしれませんが、ぼくたちおじさんが下りていったのを見て、急に下りる人が増えたような気がします。
「あの人たちが下りれるなら私たちも大丈夫」
とでも思ったのでしょうか?(笑)
実は、坂の途中、膝(ひざ)がガクガクしてきましたが、何でもないふりをして下りていました。
あとで、マッサージが必要かもしれません。(笑)

「くさり橋」(地図では「セーチェニー鎖橋」と書いてあります)を歩いて「ペスト」側に渡りました。
目的地の「国会議事堂」は、まだ、結構、遠いです。

初日に夜景を楽しんだスポットです。
今日は、日中なのでドナウ川がキラキラしています。

国会議事堂へは、トラムに乗って行きました。

~桁(けた)違いのスケール、国会議事堂

「ブダペストのシンボル」と言われている「国会議事堂」です。
「地球の歩き方」を読むと、「豪華絢爛(ごうかけんらん)内部ツアー」などと書いてあるので、内部見学したくなりますが、予約が必要であることを知って、諦(あきら)めました。 
この「国会議事堂」は、ハンガリー国内で1番大きな建築物であり、ヨーロッパで2番目、世界で3番目に大きな国会議事堂だと言われています。
ちなみに、ヨーロッパで1番は、ルーマニアの国会議事堂です。
「ルーマニアの国会議事堂」は「国民の館」と呼ばれ、かって悪名高い暴君として圧政を強いたチャウシェスクが、当時のレートで1500億円もの巨費をかけて造らせた建造物です。
そして、世界1番は、アメリカだと言われています。

巨大過ぎて、近くでは、全体が写らないので、かなりバックしましたが、まだ、全てが写りません。

議事堂前の広場も桁違いの広さです。
「コッシュート・ラヨッシュ広場」という名前です。
噴霧状(ふんむじょう)の噴水があり、暑さを和らげてくれます。
普通の噴水と違って服がびしょぬれにならないので、子どもたちは大喜びで遊んでいます。
左の巨大な騎馬像は、ハンガリー独立の蜂起リーダーで国民的英雄「ラーコーツィ・フェレンツ2世」です。
「ラーコーツィ」が名字で、「フェレンツ」が名前です。
ハンガリー風(アジア風)に名字が先で表記してあります。

記念撮影をするのも石段の上に乗らないと、塔の先端まで写りません。

議事堂の入口が見える地点まで来ました。
入口まで来るのにも、一苦労するほどの広さです。

もちろん、ハンガリー国旗の脇には、EU旗がはためいています。

~「ハンガリー動乱」と自由への強い思い~

ハンガリーは旧ソ連に支配されていた社会主義時代から強く「西欧への復帰」(自由主義社会への復帰)を目指していたと言われています。
旧ソ連の支配から抵抗するために起きた1956年の「ハンガリー動乱」は、旧ソ連への抵抗運動の先駆けとして有名な事件です。

ウキペディアより

ハンガリー動乱時、旧ソ連の装甲車を武器を持たないハンガリー市民が占拠した様子です。
国会議事堂前だと思われます。

ウキペディアより

ハンガリー市民は、旧ソ連の装甲車を取り囲み抵抗運動を続けましたが、圧倒的な軍事力の差で旧ソ連軍に鎮圧されてしまいました。

しかし、その後も、ハンガリー市民は、諦めることなく旧ソ連への抵抗運動を地道に続けたと言われています。

~「汎ヨーロッパ・ピクニック」が「ベルリンの壁崩壊」に~

そして、「ベルリンの壁崩壊」のきっかけを作ったのはハンガリーの「ある活動」だと言われています。
「ベルリンの壁崩壊」は、ご存じの通り1989年11月に起こった旧ソ連の崩壊に直接つながった事件です。

ドイツ大使館FACEBOOKより

1989年8月、ハンガリーは、オーストリアの国境「シェブロン」を開放しました。

日経新聞より

たくさんの東ドイツの人々が、旧ソ連支配体制や社会主義体制から逃れるため、西ドイツに脱出・亡命しました。
この歴史的事象を「汎(はん)ヨーロッパ・ピクニック」と呼んでいます。

赤○印がシェブロンです。
ハンガリーとオーストリアの国境です。
社会主義体制の国々と資本主義体制の国々の間に突然開いた国境です。当時、社会主義体制の国々は旧ソ連の指令の元厳しい国境規制を敷いていたので、容易に自由主義国への脱出はできませんでした。
(無理やり国境を越えようとして射殺された事件が数えきれない程起こっていた頃です)

東ドイツの人々は、

東ドイツ→チェコスロバキア→ハンガリー→オーストリア→西ドイツ

の順に東ドイツを脱出し、西ドイツに亡命しました。

亡命した東ドイツの人々は、当時の秘密警察「シュタージ」にばれないように、あたかもピクニックに出かけるかのような装いや表情だったので「ヨーロッパ・ピクニック」という命名になったと言われています。
「どこへ行く?」
「ちょっと、ピクニックへ」
といったシュタージとのやり取りだったのでしょうね。
ちなみに、当時の「シュタージ」にプーチンがいたことは有名ですね。


そして、3ヶ月後の1989年11月に「ベルリンの壁崩壊」が起こったのは、単なる偶然ではないと思います。
まさに、ハンガリーがベルリンの壁崩壊に導いたと言っても過言ではありません。

その後、東側の国々が相次いで、旧ソ連からの脱却、独立を果たしていきます。
ハンガリーもその先頭を切り、1990年「ハンガリー人民共和国(社会主義体制国家)」から「ハンガリー(自由資本主義国家)」に生まれ変わることができたのです。
そして、1998年にはNATOに加盟2004年には念願のEU加盟を果たしています。
旧東側諸国の中では、チェコスロバキア(当時の国名)とともに最速での加盟を果たしています。

まさに、ハンガリーは、旧ソ連脱却のリーダー的な存在だったのです。

ハンガリーの「西側諸国への強い憧れ」や「自由への熱い思い」を知れば知るほど、EU旗のはためきにジーンとしてしまいます。

入口には、やはり、守り神のライオンがいます。
このライオンもハンガリーが自由を手に入れるための様々な活動を見守り続けたのでしょうか?

<広告です>

10銘柄50袋入り!【10gコーヒーお試しセット】

~国会議事堂からスーパーマーケット経由でホテル~

夕方6時を過ぎたので、そろそろ、夕食や帰ることを考えなければいけません。

今日も夕食はスーパーマーケットでの買い物で済ませます。
近くのスーパーマーケットをスマホで探してみました。
すると、ブダペストのターミナル駅の一つ「ブダペスト西駅」(地図ではNyugatipuと表記)に食料品店街があることが分かりました。
「ブダペスト西駅」なら買い物をした後、駅を探し、重い荷物を持って歩き回る必要がありません。
西駅には地下鉄3号線の駅もあり、乗り換えずに帰ることができます。

鉄色のレトロなトラムです。

最初、レトロに見せかけた新しい車両いわゆる「なんちゃってレトロ」かと思いました。
でも、ヘッドランプやホーンや窓枠などを見ると本当に年代を重ねてきたトラムです。
古い物も大事にするブダペストですね。
ブダペストの街には、このような本物のレトロがものすごく似合うと思います。

~西駅でお買い物~

ブダペスト西駅(正式名称:ニュガティ西駅)です。
ぼくたちがブラチスラバ行きの列車に乗るのは東駅です。
東駅と並んで、ブダペストにあるもう一つの巨大な駅がこの西駅です。

予想を超える豪華な駅舎です。

地下に、食料品の売り場が集まっています。

ぼくたちは、クロアチアでもよく行った「SPAR」というスーパーマーケットで買い物をしました。
セルビアやクロアチアではスーパーの様子を何枚も写真に写しましたが、ブダペストでは、「食」に関する写真がほとんどありません。
ブダペストの街歩きが楽し過ぎて、飲食に関する関心が低下していたのかもしれません。
この時も何を買ったかという記憶と記録は全くありません。

黒い矢印が西駅で、赤い矢印がホテルです。
若干遠いですが、地下鉄1本で結ばれています。

ホテルに着いた後、食べたサラダのようです。

その袋です。

何かを衣で包んで揚げた総菜(そうざい)のようです。
何を食べたか分かる写真はこの3枚しかありません。
こんな質素な夕食ではなかったはずですが、写真がこれしかありません。
これだけだとしたら笑っちゃうくらい粗末過ぎですよね。

さっきも少し述べましたが、実を言うと、ブダペストの写真に食事の写真が極端に少ないです。
スーパーで買い物をした写真もほとんど残っていません。
外食も1度もしなかったので、当然、写真はありません。
なぜかと考えると、街の観光に満足しきって、格別、旨いものを食べたいという気持ちにならなかったのだとと思います。
それほど、ハンガリー・ブダペストはお気に入りの街です。
その都市に住んでみたいと思えるほど好きになるのは、ポルトガル・リスボン以来です。
街歩きがおもしろすぎて、寝る時間を惜しんで歩き回ったのは、イタリア・ローマ以来です。

明日は、世界陸上の会場へ行ったり、温泉に入ったり、温泉で将棋を指したりする予定です。さて、念願の田中希実選手には、会えるのでしょうか?

(第9話、終わりです)

(第10話:「世界陸上の会場を訪ねて」です)

「あきらのふらブラ旅」メニューページへ

<広告です>

途上国の子どもたちの1対1の支援プログラム

<広告です>

電気代高騰による影響を軽減【ソーラーパネル】