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~⑤王宮へ~
「ペーター教会」の観光を終え、「王宮」へ向かっています。

地図の赤色の部分が「王宮」です。
リンク内の入口というべき一等地にあります。
20haという面積です。
東京ドーム8個分です。
かなり広大です。

写真からも広大さがお分かりいただけると思います。
写真の建物は、「新王宮」と呼ばれている建物です。
こんなに広くても「王宮」のほんの一部です。
この建物の奥にこの3倍くらいの大きさの王宮があります。
この「新王宮」は、エントランス面が緩やかな円形となっています。

~ウィーンの「王宮」の紹介~

「王宮」の説明を少しだけさせてください。

<正式名称は「ホーフブルグ宮殿」>

われわれが「王宮」と呼んでいるのは、正式には「ホーフブルグ宮殿」というのだそうです。
確かに「王宮」という言い方は他の国にも多数あるから紛(まぎ)らわしいですよね。
「オーストリアの王宮」=「ホーフブルグ宮殿」です。
「ホーフブルグ宮殿」は、ウィーンの中心部に位置し、歴代皇帝の政務の場、外交の場、住居として用いられていました。

<現在は国家の重要機関>

もちろん現在は、オーストリアは王制を敷いていませんし、国王もいないので、「王宮」としての役割はありません。
現在は、大統領公邸や図書館、博物館などオーストリアの様々な国家重要機関として利用されています。
ちなみに、現在のオーストリアは共和制国家で永久中立国となっています。
そのため、EUには加盟していますが、NATOには加盟していません

<オーストリアのミニ歴史>

この王宮は、マリー・アントワネットが産まれた地、ヒトラーがオーストリア併合を宣言した場所でもあったのですね。
考えてみると、オーストリアという国もドイツ同様、第1次大戦、第2次大戦ともに敗戦国となった国ですね。
ドイツに併合され(望んで併合されたとの見方もありますが、、)、ともに2次大戦に敗れ、1955年までの10年間、英・仏・米・ソの4か国に分割統治される憂き目にあっています。

オーストリア・ハンガリー帝国時代の領土:ウキペディアより

領土は、オーストリア・ハンガリー帝国時代の5分の1以下に減らしています。

現在のオーストリアは、アルプス山麓の風光明媚(ふうこうめいび)な観光国家、経済的にも政治的にも進んでいる先進国というイメージです。
くわえて、第2次大戦以降一度も戦争をしていない「平和国家」のイメージが強いです。

ちなみに、第2次大戦以降一度も戦争をしていない国は、9か国しかありません。
その9か国とは、日本、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、オーストリア、ブータンです。
(しかし、オーストリアが起こしたとされている「南チロル地方」でのイタリアとの紛争を戦争ととらえている資料によっては、オーストリアは、その9か国に入りませんが、、)

国連加盟国193か国中の9か国ですから数少ない国の一つですよね。
日本もその9か国にしっかり入っています。
誇るべき事実ですよね。

そんな、プラスのイメージしかないオーストリアですが、意外にも波乱に満ちた近現代を送ってきたようですね。

すいません!
話がまた脱線してきました。
戻します。

<疑惑?の騎馬像>

円形の中心に騎馬像が見られます。

円の中心には、オイゲン公の騎馬像が置かれています。
オイゲン公の正式な名前は、「オイゲン・フランツ・フォン・ザボイケン」というのだそうです。
オイゲン公は、オスマン帝国から侵略されそうになった「第二次ウィーン包囲」でオーストリアを救った功績など軍人としても政治家としてもオーストリアの英雄的な存在です。

しかし、この騎馬像が世界的に有名になったのは、オイゲン公の功績よりも、後ろ脚だけで立ち上がっている騎馬像が世界初だったことだと言われています。
そういう目で見ると、確かに後ろ脚だけで、よくバランスをとって立っているなあと感心します。

しかし、疑惑の目で見るわけではありませんが、もしかして、後ろ脚だけではなく、
馬の尻尾(しっぽ)も接地しているのでは?」
と思うのは、ぼくだけでしょうか?
後ろ脚の2本だけでなく尻尾も合わせた3点で立っているように見えてしまいます。
(すいません!いちゃもんを付けて、、)

~⑥国会議事堂へ~

王宮を見た後、⑥国会議事堂→⑦市庁舎→⑧ウィーン大学→⑨ボティーフ教会と見て回る予定です。
リンクを北上するイメージです。

ボティーフ教会にアンダーラインが引いていませんが、引き忘れです。

国会議事堂が見えてきました。
地図では近く見えますが、王宮から20分は歩かないと着けません。

国会議事堂は、オーストリアで最も重要な建築物だと書いてありますね。

国会議事堂前に立っている騎馬像です。
この銅像の馬も後ろ脚だけで立っていますが、人間が乗っていないことと人間が脇で支えているので立たせるのはそんなに難しくはないらしいです。

玄関前には、ギリシアを彷彿(ほうふつ)させる彫像の数々があります。

知恵の女神「パラス・アテナの噴水」です。

裏側から見た「パラス・アテナの噴水」です。

「パラス・アテナの噴水」からリンク方面の景色です。
たくさんのトラムが見えます。
国会議事堂前は、ウィーン市街の交通の中心です。

古代ギリシアの民主主義をお手本にするためギリシア古典主義のスタイルで設計されたエントランスです。
円柱、三角屋根の切妻、屋根の女神たちが外観を特徴づけていると言われています。
まるで、ギリシアの「パルテノン神殿」に来たような感じですね。

~⑦市庁舎へ~

国会議事堂の隣には、ウィーン市庁舎があります。

国会議事堂と全く趣(おもむき)が違う建物です。

塔の作りは「シュテンファン大聖堂」のようです。
一つの塔を構成するためにいくつもの小さな塔を集合させています。

市庁舎の前には、巨大なスクリーンがあります。
掲示物から推測すると「フィルム・フェスティバル」が開催されているようです。

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~市庁舎前で平和交流~

ウキペディアより

市庁舎を高いところから眺めると市庁舎の前面には、イベント会場があることが分かります。

市庁舎の前面のイベント会場では、季節によって、クリスマスやスケートリンクなど様々なイベントが行われることが分かります。

ぼくたちは、歩き疲れたのでイベント会場の椅子に座って、遅い昼食を食べながら、しばし休憩していました。
休憩しながら、「フィルム・フェスティバル」の今日の演目は何か気になりました。
もちろん、あの巨大なスクリーンに何か映るのが見たかったとい気持ちもあります。

もし、時間さえ合えば、見ていきたいと考えました。
自由にイス席に座れるということは無料の匂いがします。

何時頃どんな演目があるのか、ぼくたちの近くに座っていた地元の人らしい男性に聞いてみることにしました。

男性とは、英語が通じませんでした。
なので、スマホアプリをドイツ語モードにして再度、質問してみました。
オーストリアは、母語がドイツ語ですから、、
それでも通じません。

意思疎通(いしそつう)には、非常に苦労しました。
これくらい言葉が通じないと、通常は
「ありがとう、さようなら!」
で他の人を探すことが多いです。
でもこの時は、なぜか、お互いに気持ちを通じ合わせたいという思いが強く、すぐには
「ありがとう、さようなら!」
には、なりませんでした。

ぼくたちは、荷物の少なさとか顔立ちなどから、その男性をオーストリアの地元の人だと思い込んでいました。
しかし、その男性は、何と、ブラジルからの観光客だったのです。
オーストリア人だとぼくたちの勝手な思い込みのせいで、かなり無駄な時間を使ってしまいました。
ブラジル人ならポルトガル語です。
英語もドイツ語も通じなかったわけです。

スマホのアプリをポルトガル語モードにすると、会話が徐々に成立していきました。
その男性は、奥さんとヨーロッパ旅行に来ていて、この市庁舎前のベンチで待ち合わせをしているとのことです。
だから、ここでのイベントについて詳しいわけはありません。
でも、もうイベントのことなんて、どうでもいいです。

ぼくたちは、お互いの旅のことや母国のこと、サッカーのことなども話したりして、どんどん仲良くなりました。
もちろん、平和交流のことも話しました。

スケッチブックメッセージにも喜んで、協力してくれました。
このブラジルの男性はバレリオ・ロミグさんという名前です。
バレリオ・ロミグさんから平和メッセージをもらいました。
「あなたに全面的に賛同します」という意味だそうです。

ぼくたちのちょっとした勘違いから生まれた交流ですが、ウィーンでも平和交流ができてすごく嬉しいです。
ちなみに、バレリオ・ロミグさんとは、よほどの縁があるらしく、この後、劇的な再会をすることになります。
その件については、また、後で紹介します。

次は、「ウィーン大学」経由で「ボティーフ教会」へ向かいます。

(第13話、終わりです)

(第14話:「変な?スポーツ」です)

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