シリーズ16の6<ブラチスラバ&ウィーン編>NO1
<広告です>

DAY20:2023年8月15日(火)その2
今回から新しいシリーズ「ブラチスラバ&ウィーン編」となります。
「ブラチスラバ」は日本人にはあまり馴染みがありませんが「スロバキア」の首都です。
「ウィーン」は音楽の都として誰もが知っている「オーストリア」の首都です。
その両極端の2都市をセットにして紹介します。
「ブラチスラバ」と「ウィーン」は電車で40分という近さなので、ブラチスラバのホテルを拠点にして両方の都市を行ったり来たりします。
理由は3つです。
①近い首都同士、ホテルの移動は面倒
②ウィーンのホテル代がかなり高い
③ぼくもSくんも過去にウィーンに行ったことがあった(偶然ですが、)
だから、2都市をセットにして日数と経費の「節約」をしたのです。
それでは、シリーズ17<ブラチスラバ&ウィーン編>どうぞお楽しみください。
~スロバキア・ブラチスラバへ~
セーチェニー温泉で体調を崩したぼくですが、幸いなことに、高熱を出したり、どこかが痛んだりして、病院に行かなければならないという状態にはなりませんでした。
朝は、遅刻せず、無事に電車に乗ることができました。

ブダペスト・ブラチスラバ間は約160kmです。
上越市から東京へ行くより近いです。(約200km)

乗車時間は約2時間半です。
12時03分にブラチスラバ駅に着く予定です。
列車は定刻通り9時29分に出発しました。

2時間半の列車旅ですが、途中の写真がこれしかありません。
おそらく、ぼくは体調が万全ではなかったので、眠りこけていたのだと思います。
この写真は、時刻を見るとおそらく、ハンガリーとスロバキアの国境の駅に停車した時に撮ったのだと思います。
Sくんは、ぼくより起きている時間が多かったようで、結構写真を撮っていました。
S君からもらった写真で車内の様子をお知らせします。

割と混んでいますが、満席というほどではなさそうです。

ぼくの隣だった女性だと思います。
うつらうつらしていたぼくが、時折、目を覚ますと必ずクロスワードをしていたのを思い出します。

のどかな風景が続いているようです。
~ブラチスラバ駅到着!~

あっという間にブラチスラバに着きました。

右を見ても、左を見ても、スロバキアという一つの国の首都の中心駅とは思えない「普通さ」です。

ぼくのふるさと上越市の「直江津」のような規模の駅です。
まわりに高い建物がないところもそっくりです。
初めて来た駅なのに、何だか懐かしい感じがします。

ぼくたちが着いたのは1番線だったからよかったですが、違う番線に行くためには、エスカレーターなしの穴倉(あなぐら)のような階段を降りていくしかないようです。

時計を見ると、12時29分です。
25分くらい遅れて到着したようです。
ちょうど、3時間の列車旅でした。
<広告です>
~スロバキア&ブラチスラバのミニ知識~
恒例なので、「スロバキア」やその首都「ブラチスラバ」の紹介を少しだけさせてください。

<ハンガリーとの強い結びつき>
スロバキアは、ハンガリーの真上に乗っかるようにして位置している国です。
地図からも分かるように、もともとスロバキアは、チェコとの結びつきよりもハンガリーとの関係が深かったようです。
10世紀にはハンガリーに支配されて「北ハンガリー」と呼ばれる時代もあったようです。
<チェコと統合、しかし、劣等感不信感も>
ちなみに、チェコは、スロバキアとの結びつきよりもオーストリアやドイツの影響を強く受け、中欧の先進的な国家として発展してきました。
歴史的にも言語的にも異なる2つの国が、20世紀初頭に「チェコ・スロバキア主義」の思想の下に一つの国になりました。
「一つの国」とはいうものの、実際には、チェコがハンガリーの支配からスロバキアを救った形だったようです。
そのせいもあり、両国が統合された直後から、政治的文化的経済的にチェコ人がスロバキア人に対して指導的な立場に立つことが多く、スロバキア人にとって、水面下でかなり劣等感や不信感があったようです。
<円満離婚へ>
その後、1989年、チェコスロバキアは「ビロード革命」を経て、旧ソ連からの解放を勝ち取りました。
その4年後の1993年に民族や言語などが違うことやもともとの国家形態などを考えて「チェコ」と円満に連邦を解消し、「スロバキア」という一つの独立国となりました。
独立にともない、革命や戦争、紛争など全く起こらなかったことから西側メディアからは「ビロード離婚」と呼ばれています。
もちろん、当事者の両国では、正式にはそんな名称ではなく「チェコスロバキア解散」または「チェコスロバキア分離」と呼ばれています。
<なぜかスロバキアに共感>
別々の国→統合→分離と歴史の荒波を乗り越えてきた両国ですが、現在でも両国の歴史的文化的経済的な差は歴然としているようです。
(ちなみにGDPはチェコ3600億ドル、スロバキア1450億ドルで約2.5倍の開きがあるようです)
でも、ぼくは「スロバキアあっぱれ!」「スロバキア頑張れ!」と叫びたくなります。
・チェコに劣等感を持って生き続けるより、経済的に厳しくとも独立独歩の道を選んだスロバキア。
・不満や劣等感不信感を暴動や紛争という形で解決せず、敢(あ)えて自立という茨(いばら)の道を選んだスロバキア。
・遅々たる歩みながら成長を続け、EUやNATO、OECD加盟などを勝ちとったスロバキア。
何だかすごく応援したくなります。
この旅でもスロバキアのよさをたくさん見つけようと思います。
<スロバキアデータ>

面積は日本の7分の1、人口は20分の1くらいの小さな国です。
民族的にはスロバキア人が大多数ですが、意外なのは、チェコ人よりもハンガリー人の方が多いことです。
<ブラチスラバの概要>

1993年「ビロード離婚」によってスロバキアが一つの国家となったことにより、その日からブラチスラバはスロバキアの首都となりました。
いきなり首都になってしまった感じがしますが、実はハンガリー帝国時代の16世紀にもハンガリーの首都になったことがあるということです。
現在の人口は、43万人くらいですから、日本で比べるなら東京の品川区くらいの規模だと思います。

大規模な都市ではありませんが、町中にトラムやバスが走っているのが分かります。
市街地の南側にブダペストで何度も渡った「ドナウ川」が流れています。

ウィーンとの往復フェリーが一日に何便も出ているようです。
ドナウ川の水運が、大都市ウィーンとの結びつきを強めているようです。
距離的に近いこともあり、もともと同じ国だったチェコ・プラハよりもオーストリア・ウィーンとの交流の方が強いようです。

やはり、観光の目玉は「ブラチスラバ城」ですね。

ウィーンと比べるどうしても、観光的に見劣りする感じは否(いな)めませんが、この滞在中に素晴らしい面を一つでも多く発見したいです。
~ブラチスラバ駅で~

これから、ブラチスラバ駅でチェコ・プラハまでの列車チケットやブラチスラバ交通カード(or観光カード)を買ったり、ホテルまでの行き方を考えたりする予定です。
これから4泊5日、ブラチスラバやウィーンでどんな出会いや発見があるか楽しみです。
(第1話、終わりです)
(第2話:「交通カード、何を買えばいい?」です)
<広告です>

<広告です>
