シリーズ20の1「なんちゃって世界一周!」:NO6
◇ベトナム編:NO6◇
DAY3:2024年11月1日(木)その3
クーラーのない室温33℃の中、汗だくになりながら、ベトナム戦争証跡博物館の見学をしています。
3階から2階までの見学が終わったところです。

残すは、1階の⑨からです。
⑨は「世界は1954年ー1975年の抗米救国戦争を支持」という日本語訳になっていますが、何とも分かりにくいですね。
要するに、
「ベトナム戦争時、ベトナムを支持しアメリカに抵抗した勢力の様子を紹介します」
という意味だと思います。
<広告です>



~戦争を伝えるために~
「ベトナム戦争時、ベトナムを支持しアメリカに抵抗した」代表として、全世界にベトナム戦争の真の姿を伝えるために尽力した戦場カメラマンを大きく紹介しています。
<ロバート・キャパさん>

戦場カメラマンとして世界的に有名な「ロバート・キャパ」さんがベトナム戦線を撮影した写真です。

ロバート・キャパさんは、スペイン内戦から日中戦争、第二次大戦、ベトナム戦争など20年近く戦場を渡り歩いた戦場カメラマンの草分け的な存在です。
1954年、40才の時にベトナムで地雷を踏み、死亡したことが確認されています。
<澤田教一さん>


日本人の代表格として澤田教一さんも大きく紹介されていました。

澤田教一さんがベトナム戦争下で撮った有名な写真です。
「安全への逃避」というタイトルで「ピューリッツア賞」をとった作品です。
戦火を必死で逃れるベトナム人家族の様子です。
残念ながら、澤田教一さんもベトナム戦争取材中の1970年に銃撃され、戦場で命を落としました。
<石川文洋さん>

石川文洋(ぶんよう)さんの功績も紹介されていました。
石川さんもベトナム戦争時、ベトナム共和国軍やアメリカ軍に従軍し、精力的に戦場取材を行いました。
その後、多数のベトナム戦争時の報道写真を当館に寄贈されたことも紹介されていました。
<一ノ瀬泰造さん>

カメラに銃弾が当たり、銃弾がカメラにめり込んでいる写真です。


写真の説明にもある通り、戦場カメラマン・一ノ瀬泰造さんのカメラです。
(翻訳アプリの漢字は「泰三」になっていますが、「泰造」が正しい名前です)
浅野忠信さんの主演で有名になった映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」の主人公「一ノ瀬泰造さん」です。
一ノ瀬さんは、この銃撃を受けた時はカメラによって命が助かりましたが、その数か月後、カンボジアでクメール・ルージュに捕らえられ処刑されてしまいました。
戦争の真の姿を伝えるため、数多くの戦場カメラマンが命がけで戦場に赴いたことが分かります。
そして、多くの人が戦地で命を落としたことも分かります。
<広告です>

~ベトナムとの連帯~
戦場カメラマンなどの取材でベトナム戦争の真相が明るみになるにつれて、ベトナム戦争の意義など真剣に考える人々が増えてきました。
それと同時に、世界各地でベトナムと連帯する団体が設立され、ベトナムを支援する動きが世界の潮流になっていきます。
ベトナムが戦争に勝てた要因の一つに、「世界各地での支援や連帯の輪」があったことは間違いないことです。

日本の「べ平連」の取り組みも大きく紹介されていました。

「べ平連」とは、「ベトナムに平和を!市民連合」の略称です。
1965年、小田実さんたちが中心に結成された「ベトナム戦争反戦および反米団体」です。

アメリカで起こった「懲役拒否」や「反戦ムーブメント」「反戦デモ」などの紹介は、なぜか、館内には見当たりませんでした。
博物館側(ベトナム側)の何か意図があってのことかもしれません。
しかし、アメリカ本国でも若者を中心とした「ベトナム戦争反対」の激しい動きは、間違いなくあったことは確かです。
アメリカ政府が、ベトナム戦争撤退に向けて大きく舵(かじ)を切ることになった大きな要因であることは間違いのない事実です。

⑨の出口には大きく来館者からのメッセージが飾られています。
ひまわりをイメージするカードに希望者が書けるものです。

ぼくも、日本語で
「戦争はいかなる理由があっても絶対にしてはならないことです。
その思いをこの戦争博物館で深く再確認しました」
と書かせてもらいました。
館内を見学し終わったのは、4時近くになっていました。
約7時間、館内にいたことになります。
自分でもよくこんなに長時間、飽きずにいることができたなあと感心しています。
<広告です>

~屋外にて~

敷地内に時折、カランカランという音が聞こえます。
来館者が平和の祈りを込めて「平和の鐘」を鳴らしていました。

その「平和の鐘」は、屋外にある戦時中に使用したであろう戦闘機や戦車に
「二度と戦争で使われないように」
と戒(いまし)めているように聞こえました。

知っているようで、ほとんど何も知らなかった「ベトナム戦争」。
丸々1日学習ができて充実感で一杯です。
~戦争博物館からの帰り道~

戦争博物館の帰り道、「独立宮殿」の前を歩いて帰ることに決めました。
「独立宮殿」とは、ベトナム戦争終結の象徴でもある旧南ベトナム大統領官邸のことです。
地図上では「Independence Palace」と書いてある所です。
徒歩でホテルに帰ると、ちょうど、その前を通ります。

「サイゴン陥落」の際に必ず使われる上の写真がまさに、
「南ベトナム大統領官邸」=「独立宮殿」=「Independence Palace」です。

歩いて7,8分するとそれらしい建物が現れました。
もちろん当時の面影はありませんが、南ベトナム解放戦線は、このフェンスを戦車でぶち破り、大統領官邸に乗り込んだというイメージは湧いてきます。

ここへ来た時には、17時を過ぎていました。
館内に入れるのは、16時までなので、少し遅かったようです。
フェンスの外から中の様子を伺いましたが、のどかそのものです。
ぼくは、そののどかな様子を見て思わず
「ベトナムに平和が訪れて本当によかった!」
となぜだか、何か熱いものが込み上げてきてしまいました。

~ホテルにて~
今日は、ベトナム戦争博物館で丸々1日使ったので、明日は効率よく観光をしたいと思い、ホテルにバイクの手配をお願いしました。
もちろん、二人乗りのバイクタクシーではなく、自ら運転するためのバイクの手配です。
ホテルのスタッフは最初、
「あなたが運転するのか?」
という感じでしたが、ぼくは
「日本でも上海でもバイクに乗っていたから大丈夫だと思う。ベトナムでも安全に気を付けて運転する」
と言うと、安心したようで笑顔で話を進めてくれました。
ぼくも正直言うと、内心、あのバイクの洪水の中、乗り回すのに不安がなかったと言えば嘘になります。
でも、初日、バイクおじさんの後ろで二人乗りした時に覚えた高揚感を抑えられず、どうしてもバイクに乗りたいと思ったのです。

バイクの料金預かり証です。
250000ドンなので、1500円です。
丸々24時間レンタルして1500円は安いですよね。
そして、ホテルで明日の行きたい観光地とルートをいろいろ学習しました。
10か所近くある行きたい所をいかに能率よく回るか、地図アプリとにらめっこしながら考えていました。
夢中になり過ぎて、夕食を食べていないことに気付きました。

ホテル向かいのサークルKサンクスで日本にはない珍しそうな物を買ってきて食べました。

のり巻きの中の米は、黒米です。
粘着力があってくちゃくちゃして、もちと米の間のような食感です。
味はお米です(笑)
遅くなってしまいましたが、洗濯をして就寝です。
明日は、久しぶりにバイクに乗れるかと思うと、ワクワクしてきます。
(第6話、終わりです)
(第7話は、「バイクで疾走!ホーチミン」です)
<広告です>
ネット松陰塾の学習システムは、単元を細かくレベル分けし、
類題を多数収録しています。問題はレベル毎にランダムに出題される
ので、あやふやな記憶のままでは先へ進めません。小1〜中3までの
主要5教科が収録されているので、学年にとらわれずに学習できます。
学力の悩みだけでなく
・近くに塾がない
・塾に通わせたいけれど、送り迎えが難しい
・習い事や部活動で塾に通う時間がない
・お子様が不登校気味で、塾に通えるか不安
・国外在住だが日本の教育も受けさせたい
ぜひともネット松陰塾で学びましょう!
【ネット松陰塾】

<広告です>
海外旅行での通信手段をお探しの方向けにオススメのサービス「TRAVeSIM(トラベシム)」!
SIMカードの抜き差し不要、QRコードを読み込むだけで、海外データ通信環境が普段使いのスマホで利用できる優れもの!
お申込みから受け取りまでオンラインで完結するので、わざわざ最寄りの店舗に足を運ぶ必要もありません。
日本はもちろん、世界140の国と地域でご利用いただけます。
海外旅行・主張の通信手段として、ご利用してみてはいかがでしょうか?
▽▲▽▲▽ご提供プラン▽▲▽▲▽
【ASIAプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:8日間(192時間)
対象国・地域数:30の国と地域
販売価格:1,980円
【GLOBALプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:15日間(360時間)
対象国・地域数:140の国と地域
販売価格:3,980円
▽▲▽▲▽詳細はコチラ▲▽▲▽
世界140の国と地域で使える【TRAVeSIM】

<広告です>

<広告です>

<広告です>

<広告です>
<広告です>
