シリーズ20の2「なんちゃって世界一周!」:NO29
◇エジプト編:NO29(ルクソール⑬)◇
DAY9:2024年11月9日(土)その6
~ルクソール神殿・第1塔門より入場~
ルクソール神殿に来ています。

第一塔門(ラムセス2世塔門)から神殿内に入ります。

第1塔門にはラムセス2世の巨像が立っています。
<広告です>




第1塔門を通り過ぎます。

第1塔門の向こうの広場は「ラムセス2世の中庭」です。
手描きのような珍しい案内看板があります。
6体の「ラムセス2世像」も2体の「アメンホテプ3世像」も可愛らしく手描きされています。
上の方が第1塔門で、下が第2塔門です。
観光客にとって逆の方が見やすいと思うのはぼくだけでしょうか?
(余計なお世話でした)

この中庭にもラムセス2世の立像が立ち並んでいます。
全てが、左足を半歩前に出す独特のポーズを決めています。
思い出してみると古代エジプトの立像のほとんどが、このポーズです。
なぜなのか調べてみましたが、諸説あるようでなかなか納得する説に出会いません。
とりあえず、ぼくがなるほどと思うのは以下の2つです。
①直立不動だと倒れやすいから
②真横から見た時、1本の足しか見えず、生きているのか死んでいるのか分からないから
の2つです。
古代エジプトのことだから、もう少し奥深い理由がありそうなので、もう少し調べてみます。
ちなみに、両手は、棒状の物を持って何かを引っ張っているようなポーズと言われています。
ぼくは、建築現場で見る方の一輪車を押しているようなポーズに見えますが、両手のポーズも謎ですよね。
どなたか、「へーぇ!」と納得できるようなお考えをお持ちでしたら、ぜひ聞かせてください。

十分に修復しきれていない立像もあります。
完璧な修復の難しさが垣間(かいま)見られます。

ルクソール神殿を探している時に、自転車から見えたイスラムモスクです。
調べてみると「アブ・ハッシャージ・モスク」という13世紀に建てられたモスクだそうです。
ぼくは、ルクソール神殿内にイスラム教の施設が建てられるなんて、絶対にあってはならないことだし、不自然なことだと思います。
だから、イスラム教徒が無理やり神殿の一部を壊して、モスクを建てたのかと思っていました。
もちろん、若干の嫌悪感も感じていました。
しかし、調べてみると、どうやらそうではなさそうです。
13世紀、モスク建築当時、この辺り全体がアラブ人の集落となっていたそうです。
もちろん、大部分はイスラム教徒なのでモスクは必要です。
その当時、ルクソール神殿自体が神殿の形を成していなく、瓦礫(がれき)の山に覆(おお)われていたらしいのです。
それらの瓦礫の石材をどけながらモスクを建造したそうです。
決して、神殿の一部を壊して、モスクを建てたのではありませんでした。
むしろ、神殿を勝手に私有地などにしないで、公共性のあるものとして扱ってくれたことが現在に繋がっているらしいです。
ムスリムの皆さん、疑って、すいませんでした。
何事も調べてみることは、大事ですね。
そして、先入観だけで物事を決めつけてはいけませんね。
ちなみに、このルクソール神殿の本格的な発掘・修復作業は1884年から始まったと言われています。
その後、1960年まで発掘・修復作業が続けられ、ほぼ現在の形になったと言われています。
現在では、散発的な修復作業しか行われていないので、飛躍的に修復作業が進むことは期待できないと言われています。
エジプト政府的にも、ルクソール神殿をはじめ国内に数多くある世界的な遺産の修復作業を進めたい意欲はあるものの、現在のエジプトの経済状況を考えると、なかなか難しいらしいです。
どこかの大富豪が修復作業をかって出てくれるのを密(ひそ)かに待っているとの噂(うわさ)もあるらしいです。
<広告です>

~第2塔門から大列柱廊へ~

第2塔門(アメンホテプ3世の塔門)に入ります。
この先は「アメンホテプ3世」が中心に造ったそうです。
だから、入口には「アメンホテプ3世座像」が鎮座(ちんざ)しています。
座像の後ろの巨大柱が廊下状になっている空間が「大列柱廊」です。
左右に7本ずつ巨柱が建っています。
「アメンホテプ3世」といえば、「メムノンの巨像」の時にも、「ルクソール博物館」の時にも登場したファラオです。
「メムノンの巨像」の後ろに自身の葬祭殿を造ったにもかかわらず、後のファラオに石材を持ち去られたという、あのファラオです。
でも、こうして巨大座像を眺めると、お人よしの印象(すいません!)しかしなかった「アメンホテプ3世」が、立派なファラオだったんだと思えるようになりました。

「大列柱廊」に入ります。

ちょうど、西日が巨柱の間から差し込み「後光(ごこう)」が差しているように見えます。
差している本人に全く気高さがないのが最大の難点です。

巨柱は、継ぎ接ぎ(つぎはぎ)に見えますが、1880年代としては最高の修復技術だと言われています。
よくここまで修復できたものだと感動さえ覚えます。

「大列柱廊」の入口近くに慎(つつ)ましく鎮座(ちんざ)していた座像です。
ぼくは、「ツタンカーメン王と妻アンケセナーメン」のつもりで撮りましたが、本当はどうなのでしょうか?
後でいろいろ調べましたが、「そうだという文献(ぶんけん)」と「違うという文献」があって、自信がありません。
どなたか、教えていただけませんか?
<広告です>

~アメンホテプ3世の中庭へ~

「大列柱ホール」の案内看板です。

「アメンホテプ3世の中庭」に入りました。
ただただ、広くて何も置いていないところに、潔(いさぎよ)さを感じます。

段々、太陽が西に傾いてきています。

ぼくの後ろに見えるのは、「ラムセス2世の中庭」と「アメンホテプ3世の中庭」を結ぶ「大列柱廊」です。
向こう側から見る「大列柱廊」とこちら側から見る「大列柱廊」では随分印象が違いますね。
こちら側から眺める「大列柱廊」は「剥き出し感」が強くてあまり重厚感が感じられませんね。
~礼拝所へ~

第3塔門の入口です。
向こうに見えるのが「礼拝所」の入口です。

この列柱室の巨柱は、中心部の円柱にミニの円柱が8つ集めた形の独特な巨柱です。
今までの列柱室の巨柱とは明らかに形状が違います。

この「礼拝所」は、7世紀以降のローマ軍の駐屯(ちゅうとん)の際、ローマ皇帝の命令によりキリスト教の崇拝のための礼拝堂とされました。
右下隅にある入口は、今では通れるようになりましたが、7世紀当時は壁龕(へきがん:キリスト像などを安置する半ドーム型のへこみ)の構造の一部として塞(ふさ)がれてしまったということです。
観光客でも無料で自由に中に入れるようなので、入ってみます。

今入ろうとしているのが、上の地図でいう「D:ローマ時代の内陣」です。

薄暗い中ですが、壁画が描かれているのが、はっきりと分かります。

廊下の両面に壁画が描かれています。

曲がり角があります。

至聖所でしょうか?
お祈りをしたくなるほど、神聖な空間です。

「アメンホテプ3世誕生の間」と言われている空間もありました。
<広告です>

~入口への帰路~

壁龕(へきがん)の出口から出てきました。
まだ、明るいのでホッとしました。
ルクソール神殿の奥まで行ったので、あとは、戻るだけになりました。

来たルートを忠実に戻るのは面白くないので、神殿から少し外れたルートを通って戻ることにしました。

礼拝所の外に出てみました。
写真の左端には、ルクソール神殿を探している時に通った道があります。
その向こうは、ナイル川です。

礼拝所の後ろをぐるりと回って、礼拝所の東側に来てみました。
東側なので日影です。
向こうにモスクが見えます。
意外なことに神殿の建物の外には簡単に出ることができます。
のんびり時間のある人に、たまに出会います。
極々たまにですが、、

第1塔門の背面部に来ました。
後で調べて分かったことですが「三柱神(太陽:ラー、大気:シュー、大地:ゲブ)の聖舟祠堂(せいしゅうしどう)」という所のようです。

中に入ってみました。
なかなか幻想的な空間です。

「アメンホテプ3世の中庭」に戻って来ました。

「大列柱廊」のこちら側からの入口です。
このあたりにもよく見ると寄り道がしたくなる抜け道がたくさんあります。
でも、ぼくは、スフィンクス参道にも時間をかけたいので、寄り道の誘惑を断ち切りました。

「大列柱廊」の中央を素直に通って出口に向かいます。

ラムセス2世の中庭まで戻って来ました。

太陽は随分西に傾いてきました。

そろそろ、第1塔門です。

ここから眺める、中庭が気に入ったので休憩も兼ねて、しばらく、佇みました。

人々の影がとんでもなく長くなっています。

ようやく、第1塔門(ラムセス2世の塔門)前に戻って来ました。

先回はオベリスクの一方がパリに行ってしまったという話をしたので、その写真を探してみました。
上の写真は、パリ「コンコルド広場」にそびえ立つルクソール神殿のオベリスクです。
この広場では、何の違和感も感じないのはなぜでしょうか?
建物に見事に調和していますよね。
不思議です。
~スフィンクス参道方面へ~

ほとんどの人は、神殿側だけの観光で終わるようですが、ぼくは、スフィンクス参道側にも興味があるので、そちら側にも行ってみようと思います。

スフィンクス参道側の入口には歴代のファラオの顔写真?と業績などが古い順に並んでいます。
全部は、紹介できないので2枚だけ載せます。
まず1枚目は、ラムセス2世です。

2枚目は、「ツタンカーメン王」「アメンホテプ3世」「ハトシェプスト女王」が並んでいたので、これは外せません。

スフィンクス参道です。
歴代のファラオのスフィンクスのようです。
体は、定番のライオンのようです。

よく見ると、参道中央に舟のようなものが一隻見えます。
観光客も集まっているようです。
もしかしたら、「太陽の舟」かもしれません。
ぜひ、近くまで行ってみたいです。
その様子は、次回に譲ることにします。
(第29話、終わりです)
(第30話は、「スフィンクス参道からフェリー乗り場へ」です)
<広告です>
ネット松陰塾の学習システムは、単元を細かくレベル分けし、
類題を多数収録しています。問題はレベル毎にランダムに出題される
ので、あやふやな記憶のままでは先へ進めません。小1〜中3までの
主要5教科が収録されているので、学年にとらわれずに学習できます。
学力の悩みだけでなく
・近くに塾がない
・塾に通わせたいけれど、送り迎えが難しい
・習い事や部活動で塾に通う時間がない
・お子様が不登校気味で、塾に通えるか不安
・国外在住だが日本の教育も受けさせたい
ぜひともネット松陰塾で学びましょう!
【ネット松陰塾】

<広告です>
海外旅行での通信手段をお探しの方向けにオススメのサービス「TRAVeSIM(トラベシム)」!
SIMカードの抜き差し不要、QRコードを読み込むだけで、海外データ通信環境が普段使いのスマホで利用できる優れもの!
お申込みから受け取りまでオンラインで完結するので、わざわざ最寄りの店舗に足を運ぶ必要もありません。
日本はもちろん、世界140の国と地域でご利用いただけます。
海外旅行・主張の通信手段として、ご利用してみてはいかがでしょうか?
▽▲▽▲▽ご提供プラン▽▲▽▲▽
【ASIAプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:8日間(192時間)
対象国・地域数:30の国と地域
販売価格:1,980円
【GLOBALプラン】
SIMタイプ:eSIM
インターネット容量:6GB※超過後は低速で使い放題
利用可能期間:15日間(360時間)
対象国・地域数:140の国と地域
販売価格:3,980円
▽▲▽▲▽詳細はコチラ▲▽▲▽
世界140の国と地域で使える【TRAVeSIM】

<広告です>

<広告です>

<広告です>

<広告です>
<広告です>
