Part5:トボトボ旅、コロンの最期編(その3)

~歩行器でも歩行困難に~

歩行器によって、体調の回復が期待されましたが、1月に入ると徐々に、立ち上がる意欲が減退してきました。
歩行器に入れても、足や体に力が入らず、歩くことが、困難になってきました。

その頃、使っていたコロン用の「すみか」です。
もとは、幼児用プールです。
コロンのもともとの定位置は、玄関でしたが、「分離不安」が強くなってきたことで、一人でいると常に遠吠えをします。
くわえて、みんなの見守りが行き渡るように、リビングに移しました。
この頃にはもう、幼児用プールから飛び出す心配は、ほとんどありませんでした。

コロンの体調を気遣う娘です。

~その頃の食事~

寝たきり状態になったころの一番の問題は、食事です。
栄養を摂らないと一気に衰えるからです。

寝たきりになった後のしばらくは、起こして、体を支えてあげると、顔が縦の状態で、食べることができました。

そううち、段々と、寝たままの状態でないと、食べられなくなりました。

獣医師と相談しながら、ペットフードをぬるま湯に浸して、柔らかくしたり、流動食的な栄養価の高い物をスポイトや犬用注射器で喉の近くまで注入したり、いろいろやっていた時期です。
コロンの素晴らしい所は、自分の意志で固い、昔から食べ慣れたカリカリペットフードを最期まで食べ続けていたことです。
獣医師も驚いていたほどです。
「おれは、最後まで、このカリカリが好きなんだ」
と言っているようでした。
他の物は積極的に食べようという意志は見られませんでしたが、食べ慣れたカリカリペットフードだけは、自分の意志で必死に食らいついていました。
その健気(けなげ)さを見るたびに、目頭が熱くなりました。

しかし、カリカリを食べる量も減ってきて、顎を動かす筋肉も弱まってきた頃、コロンを取り巻く人たちにとって「コロンの死」が現実になってきました。

それに伴い、「ペットロス」を少しでも軽減しなければならない時期になってきました。

(第17話 終わりです)

(第18話は、トボトボ旅、コロンの最期編(その4)を紹介します)

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宮田 彰(あきら) 1961年新潟県上越市生まれ 新潟県内公立小学校教員を33年間勤める 2015年から中国上海のアメリカンスクールにて教員 2021年退職 2022年「あきらのふらブラ旅ブログ」開設 現在上越市在住

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