DAY7&8:2020年1月30日(木)&31日(金)その3
~イスラエル出国~

航空券の写真です。
嬉しかったのでもう一度載せました。
比較するのは、次元の違うことだとは、百も承知の上ですが、リトアニアで杉原千畝さんからビザを発給されたユダヤ人の気持ちが、その100万分の1くらいは、理解できるような気がします。
それくらい嬉しかったのです。
~イスラエルを後に~
飛行機は、予定通りイスラエルを飛び立ちました。

エルサレム最後のワンショットに使おうと決めていた写真です。
Lehitraot(レヒトラオート:ヘブライ語でさようなら)エルサレム!
イスラエル・モスクワ間のフライト時間は、4時間半くらいです。
~モスクワ空港へ~
飛行機は、予定通りモスクワ空港に到着しました。
イスラエルとモスクワの時差が1時間あるので、モスクワ空港に着いた時には、日付が替わっていました。

モスクワ空港の様子です。
深夜のモスクワ空港内をひたすら歩いたのを覚えています。
入国審査はもちろんですが、その後、一連の流れの中で出国審査もやってしまったことには正直、びっくりしました。
明日のフライトまでに、まだ、8時間くらいあるのにもう、出国審査が終わってしまいました。
あとは、ぼくの乗るべきSU206の搭乗口57番に行って、一晩、過ごせば、ロシアとは、さよならできます。
明日の朝、改めて出国審査がないのは、本当に楽でいいです。
2023年の現在は、日本のみならず世界中のロシアのイメージは地に落ちていますが、この頃のロシアには、そんなには悪い印象はありませんでした。
ぼくは、25年くらい前、新潟県内の中学生を15人くらい引率してハバロフスクにキャンプに行ったことがありました。
中学生を引き連れ、現地の子どもたちと毎日のように交流していました。
釣りをしたり、バスケをしたり、ディスコダンスをしたり、勉強したり、、、
2週間後には、離れたくないとお互いの中学生が抱き合って泣くくらい仲良くなりました。
もちろん引率者同士、浴びるほどウオッカを飲んだのもいい思い出です。
みんな、おおらかで、豪快。
時間を守らないのは玉に瑕だけど、家族や友だちをはじめとして、ぼくたち外国人もみんな大事にしてくれました。
現在のロシアの人たち一人一人を考えると、好きで他国を攻撃しているとは、どうしても思えません。
どこかで、ボタンの掛け違いがあり、今の状況になっているのだと思います。
一刻も早く、健全なロシアに戻ることを心より祈念しています。
余談は、これくらいにします。
とにかくDターミナルから出ないように歩きました。
Dターミナルから1歩でも出ようものなら、ビザが必要になるからです。
~ベンチ確保~
明日の朝、乗るべき飛行機SU206の搭乗口57番に着きました。
たくさんあるベンチから、トイレの近さや、コンセントの有無、防犯上の観点などいろいろ考えて、場所を決めました。
不思議なことに、あれだけたくさんいた中国人がほとんどいません。
おそらく、団体旅行で予めターミナル内の簡易宿泊所で泊まっているのだと思います。
だから、広い搭乗口のスペースには、ほんの数人しかいません。
これから、約7時間、このスペースは、ぼくの物です。
と、粋がってみても、空腹には、勝てません。
来る途中にお店屋さんが何軒か開いていたのを思い出し、買い出しに行きました。
~深夜の買い出し~
やっと、たどり着いたお店では、何と今時珍しく、カードが全く使えません。
外国通貨もダメでした。
中国元を出してもダメ。
日本円もダメ。
仕方ないので、深夜の両替場探しです。
お店のスタッフは、「あっち」って感じで、指を指すだけ。
20分くらい歩いたかもしれません。
ようやく発見しました。
100元札を1枚だけロシアの通貨ルピアに両替しました。
再度、さっきのお店に戻った時には、既にくたくたです。
まあ、いい暇つぶしだと思えば腹も立ちませんが、、
缶ビールとチーズ、スナック菓子などを買いましたが、おつりは、もちろんロシアの通貨ルピアです。
今度使うのはいつだろう?と思って受け取りました。
~一人で乾杯!~
なんだかんだで、1時間くらいのお出かけになってしまいました。
でも、ビールは、いいですね。
何はなくともとりあえず、ビールがあれば、大満足です。
一人で乾杯しました。
あとは、明日上海便が本当に飛ぶかです。
祈るような気持ちで眠りにつきました。
(第26話、終わりです)
(第27話は、「モスクワ出発」について紹介します)