DAY6:2020年1月29日(水)その3

~「4つのシナゴーグ」へ~

嘆きの壁からユダヤ人地区を通り、「4つのシナゴーグ」へと向かいました。

ユダヤ人地区に入ると、イスラエルの国旗を掲げている箇所が多くなってきます。
もちろん、キッパを被っている人も増えてきます。

「4つのシナゴーグ」の入口です。

「4つのシナゴーグ」には、特別、観光をする予定はなかったのですが、
たくさんの観光客がいたこと、
疲れてきたこと、
座り心地のいいベンチがあったこと、
可愛い猫になつかれたことで、
結構、長々と居座ってしまいました。

ベンチに座っていたら、なぜか、隣に座ってきた猫です。
カメラを構えても逃げる気配がなく、可愛いので何枚も撮ってしまいました。

まわりの建物より高く建てることができなかったので、地面を掘って建てられたという「4つのシナゴーグ」です。
「4つのシナゴーグ」は、「ヨハナン・ベン・ザカイ」、「エリヤ」、「中央」、「イスタンブル」と名付けられた4つのシナゴーグの集合体です。
現在の建物は、1835年に再建されたものです。

「中央」シナゴーグの礼拝堂です。

「ヨハナン・ベン・ザカイ」シナゴーグの礼拝堂です。

~旧市街「アルメニア人地区」へ~

ユダヤ人地区から東へ数十m進むと「アルメニア人地区」に入ります。
3大宗教の聖地が集中するこのエルサレムの旧市街地になぜ「アルメニア人地区」があるのか、疑問を持つのは、ぼくだけではないですよね。
トルコの東側に位置し人口300万人程度の小さな国「アルメニア」がなぜ?
ぼくも当然、違和感を持ちました。

調べてみると、世界で最初にキリスト教を国教にした国だということです。
あの「ローマ帝国」よりも早く国教にしたのだそうです。
だから、キリスト教世界の中では、アルメニアは別格扱いで、旧市街の中で確固とした存在感を示せているのだということです。

全く関係ないことを言うようですが、「アルメニア人地区」の旧市街での位置が東南面にあるのです。
土地選びの経験がある方ならお分かりですよね。
1等地ですね。
それほど、アルメニアが一目も二目も置かれているのかなと感じてしまいました。

アルメニア人地区「聖マルコ教会」の内部の様子です。

~アルメニア人地区からホテルへ~

アルメニア人地区からキリスト教徒地区を通り、「ヤッホ門」から旧市街を出ました。
ずいぶん歩き回ったので、旧市街を堪能できたと思います。

少し時間があったのと、初日にチャージしたラヴ・カヴ(チャージ式のICカード型乗車券)の残りが、かなりあったのでLRT(路面電車)で北方向の最終地点に行くことにしました。
地図で見ると、北方面の方が長いのでうきうきしてきます。
特に何もなくてもいいんです。
知らない土地の知らない電車に乗ってどこかに行くだけで、「幸せ気分」の味わえる安上がりな人間です。
案の定、特筆するような、写真に収めるようなものはなかったですが、往復1時間半の電車の旅は、大満足でした。

~ホテルでの最後の「コロナ会議」~

ホテルで明日の出発のための荷造りをし終えて、ベッドでうつらうつらとしていた時です。
ウイチャット(中国版ライン)の着信音が鳴りました。
やはり今日も深夜2時過ぎからの「コロナ会議」です。
今日の議題は「3学期の学校行事をどうするか?」です。
またまた、喧々諤々です。
論議の詳細はいつも通り割愛しますが、こんなことが決定しました。

・学習発表会は中止

・6年生を送る会はコロナの動向を見ながら再度話し合う

・卒業式は簡略化して実施

などです。

終了したのは4時半です(泣)
また寝不足です。

(第23話、終わりです)

(第24話は、「ヤド・ヴァシェム」、「イスラエルからロシアへ」について紹介します)

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