DAY5:2020年1月28日(火)その3

~杉原千畝(ちうね)さんの記念樹~

資料が展示されている館内を出ると、広大な庭園がありました。
「地球の歩き方」によると、

ユダヤ人をナチスから救った義人を記念して植樹した木があり、
 日本のシンドラーともいわれる杉原千畝さんの記念樹もある」

という記述があります。

日本のシンドラーという例えが、本当に的を射ているかどうか疑問ですが、第二次世界大戦下のリトアニアにおいて大勢のユダヤ人の命を救ったことは間違いのない事実です。

~案内をかって出てくれたユダヤ人~

杉原千畝さんの記念樹を探すために、広大な庭園をふらふらしていたところ、一人の初老の男性が声をかけてきました。

「日本人だろ?せんぽに会いに来たのか?」

イスラエルでは、愛着をこめて千畝(ちうね)を「せんぽ」と呼ぶこともあるということは、知っていました。
だから、

「その通り。杉原千畝(ちうね)さんの木を探している」

と答えました。

「こっちだから、ついて来なさい」

と、手で合図をしてくれました。

ぼくは、道中、初老の男性に

「イスラエルでは、杉原はどう思われているのか?」

と質問しました。

その男性は、

「せんぽがいなければ、子どもや孫、ひ孫も含めて、今この世に存在していないユダヤ人がどれだけいることか」

「我々、ユダヤ人全員が、せんぽに感謝しているし、尊敬もしている」

「だから、わたしも、日本人が来たら、その恩返しのために親切にしようと努めている」

と答えてくれました。

ぼくが行ったことではないけれど、同じ日本人として、すごく、誇らしい気持ちになりました。

杉原千畝さんの記念樹は、そこから、ゆっくり歩いて、5分くらいのところにありました。
自力で探していたら結構時間がかかったと思います。
だから、案内にはすごく感謝しています。

その男性は、

「せんぽと充分話したら、また、声をかけてくれ。出口まで案内するから」

と樹木の中に姿を隠してしまいました。

記念樹の前に設置されていたプレートです。
「SEMPO」となっていますね。

案内してくれた男性から撮ってもらいました。

記念樹です。モミの木だと思われます。
植えられたのは、1985年にこの地で「正義の人」の称号を受けた時だと思います。
植樹から35年経っているので、かなり背が伸びています。
動画も撮影しました。近日中にインスタグラムでアップする予定です。

案内してくれた男性の後ろ姿です。
押しつけがましくないのが、好印象でした。
遠方から来た日本人が、杉原千畝さんと対面し、会話する時間を邪魔しないようにという、さり気ない優しさを感じ取ることができました。

(第18話、終わりです)

(第19話は、ホロコーストで亡くなった子どもたちの鎮魂の館について紹介します)

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