Period4:2020年11月11日~2021年3月その13

~F:学校への退職申し出をどうするか?~

ぼくにとって、一番、頭が痛い問題が「退職の申し出」です。
ぼくは、当然ですが「昭和の人間」です。
義理人情をどうしても考えてしまう人間です。
契約社会のこのアメリカンスクールでは、もっとドライでいいはずなのに、なかなか、そうはいきません。

「ぼくが、辞めた後は、困るんじゃないかな」
とか、
「このコロナ下、隔離覚悟で上海に渡ってくる精神的に屈強な日本人はなかなかいないだろうな」
とか、
「学校側は、ぼくにあと2年はいてほしいから、短期Mビザから長期ビザに切り替えてくれたんだろうな」
とか、
今までよくしてくれたのに後ろ足で砂かけるような最後でいいのかな」

など、、いろいろ考えてしまいます。

案の定、日本部のスーパーバイザーという役職者に「3月で退職」を申し出ると、猛烈に引き留め工作を受けました。
しまいには、「オーナー」の所にまで呼び出される始末です。

オーナーは、言わずと知れた、この学校の最高経営責任者です。
オーナーは、70代の台湾人ですが、日本の大学に留学経験があるので、日本語がペラペラです。
ぼくのような50代の高齢教員があまりいないせいか、日頃から親しくしてもらっていました。
そのオーナーから引き留められるのが一番辛いことでした。
オーナーとの退職に関わる何度目かの面談の時、
「そんなさみしいことを言わないでよ」
と、ぽつりと言われました。
この言葉が、誰のどんな言葉より一番、心に刺さりました。

でも、ぼくにとって、自由に行動できない状態が一番辛いので、勇気を振り絞って、退職を選択しました。

~壮行ゴルフ~

そのうち、「宮田が退職する」という噂が広がり、仲良くしてくれた保護者の方々から、いろいろお誘いを受けるようになりました。

その中で一番心に残っているのが、壮行ゴルフです。
「4年前の卒業式の懇親会の時、みんなでゴルフに行くと約束したのに、実現できてなくて、あきら先生に申し訳なく思っていました」
というのが、お誘いの理由です。
確かにそんな約束をしたことを思い出しましたが、そんなことまで覚えていてくれていたなんて、頭が下がります。

「本帰国」に伴い、やることが山積みの中、のんきにゴルフなどしている場合ではないような気がしますが、これも上海での重要な絆です。
事務的なことばかりに追われて、大切なことを忘れそうになっている自分を戒めてくれた大事な大事なイベントでした。

(第37話、終わりです)

(第38話は、「いよいよ本帰国が現実に」について紹介します)

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