Period3:2020年3月21日~11月11日その1

今日からPeriod3です。
Period3は、日本再入国から3度目の隔離(中国・福州で)までの期間を紹介します。

~中国出国~

3月21日です。
日本へ戻る日です。
上海虹橋空港から成田空港です。
外が雨降りだったことと空港が近かったことから、珍しくバイクを置いて、バスで空港に向かうことにしました。
上海虹橋空港は、ぼくのアパートからバス停2つで着く空港です。
バイクをアパートに置いておいたというこの選択が、8ヶ月後、バイクを救ってくれることになります。
この後、8ヶ月も上海に戻れなくなるということは、この時点では、想像できませんでしたから、、、

上海虹橋空港の様子です。
当時、「ゼロコロナ政策」によって、中国での感染者は、あまり増えていない状況でした。
むしろ、日本の方が、感染者が増え、大変な状況でした。
写真の防護服を着ているのは、大部分が中国人です。
日本に行くのは、防護服を着なければならないくらい「日本は危険」だという意思表示です。

~日本入国~

がらがらの飛行機に乗って日本に出発です。
機内はまた、「将棋の桂馬」のような座席配置でした。

予定通り、成田空港に着きました。
飛行機の乗客が少なかった割に、検疫や入国審査は、人だかりで空港職員がコントロールできないような状態でした。
中国便だけでなく世界各地から日本に入国してきた人々が、うまく流れていかないので、混雑しているのだと思います。
空港職員から「密」にならないようにという注意が至る所であるのですが、人の流れをうまくコントロールできていないので、至る所で「密」が発生していました。
やはり、予想通り、日本は混乱していました。

~空港を出た後~

諸々の手続きを終えて、空港から人々の流れに沿って、何とか、出口まで出て来ることができました。
公共交通機関の使用は自粛しなければならないのかと思って、人々の流れを見ていると、ほとんどの人が、電車乗り場に向かっています。
「えー」と思いましたが、「自粛というのは強制ではないんだ」と、自分自身に言い訳をして、ぼくも電車に乗り、新幹線でいつも通り、新潟に帰ることができました。
実は、厳しい規制があった場合には、レンタカーで帰る選択肢も考えていたのですが、、、

(第14話、終わりです)

(第15話は、「日本での春休み」について紹介します)

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