Period2:2020年3月3日~3月21日その6
~隔離生活終了!~

3月17日のぼくの切実な気持ちが表れているウイチャットメールです。
ちなみに、ウイチャットには、素晴らしい翻訳機能があるので、日本語で送信しても、中国人の読み手は、ちゃんと翻訳して、中国語で理解することができます。
読んでいただくと、「宮田って何て無礼な書き方をするんだろう」と思う方がいると思いますが、決して無礼ではないのです。
「持ってきていただけると大変ありがたいです」などという日本人がよく使う言い回しは、あえて、使わないのです。
持って来てほしいなら、「持って来てほしい」とストレートに書かないと、変な翻訳になってしまって、逆に伝わらない場合が多いからです。
これを読んだ隔離管理官は、大家さんの夫・陳さんに連絡しました。
そして、陳さんをぼくのアパートに差し向けたのです。
下の写真の2点をぼくに届けるためにです。
理由はよく分かりませんが、保証人という立場だからでしょうか。
朝、陳さんから電話が来て
「宮田さん、必要書類、朝早くは無理なので、昼過ぎに届けに行きます」
とのことでした。
ぼくは、陳さんには、大変お世話になっているので、文句は言えません。
陳さんのお陰で飢え死にしなくて済んだと言っても言い過ぎではないですからね。
だから、実質、隔離が解除したのは18日の昼過ぎでした。

隔離解除証明証です。
日付はやはり17日でした。

取り上げられた後、再び、手にした出入り許可証です。
ようやく、ジャバ(笑)の空気が吸えます。
この2点を手に入れた時には、天にも昇る気持ちでした。
長い長い14日間でした。
その間、本当に1歩も外に出ませんでした。
出なかったというより、ペナルティーが怖くて、外には出られなかったと言ってもいいと思います。
自分の意思で歩いたり、食べたり、出かけたり、人と会ったり、しゃべったり、、、、普段は当たり前で、正直、そんなに「ありがたみ」は感じていませんでした。
でも、この隔離生活を通して、人間として、「自由」とは「生きる」と同じくらい重要なものなのだということが、分かりました。
中国の人々が、2022年あたりから「ゼロコロナ政策」に対して、異議を唱え、自由を求めて団結して立ち上がる姿をニュースで見た時は、
「やはりその時がきたな」
「加油!中国! 加油!中国人! 加油!中国の民衆たち!」
(加油:がんばれという意味でジャーヨウと発音します)
「人間として、自由は命と同じくらい大事だぞ!」
と、ぼくは、日本で陰ながら応援していました。
~学校へ~
「隔離解除証明証」と「出入り許可証」の2点を手に入れたのが、昼過ぎだったので、結局、E-ラーニングをアパートの自室で終えてからの出勤になりました。
もちろん、バイクです。
雨が降っても寒くてもバイクです。
外の空気は、3月中旬とはいえ、まだ肌寒かったことを覚えています。
でも、自由を手に入れた解放感とうれしさでウキウキ・ワクワクでした。
大きく外の空気を吸うと、上海の空気がいつもの100倍以上美味しかったです。
日本へ出発するのにあと、2日半しかないので、夕方からでも貴重です。
学校でできることを、もりもりやろうと意気込んでバイクに乗っています。
(第12話、終わりです)
(第13話は、「久々の学校にて」を紹介します)