Period2:2020年3月3日~3月21日その1
今日からPeriod2に入ります。
上海上陸した3月3日から3月21日の日本入国までの様子をご紹介します。
~上海浦東空港にて~
防護服を着た大勢の空港職員に出迎えられました。
乗客よりも多いのではないかと思われる防護服の空港職員の作る列に沿って、入国の手続きが進められていきます。
入国審査の前に、検疫(健康状態チェック)が物々しい中、行われました。
まず、健康カードみたいなA4の紙に、体温やら入国前の所在場所やら健康状態やらを記入させられました。
もちろん、パスポートやら労働許可証やら居住地証明証なども提出を求められました。
それを持って、個人ごとにブースに入れられ、防護服を着た職員との面談です。
日本語ブースはなく、英語ブースに連れて行かれました。
カードに書いてあることの確認などが主な内容でしたが、
「簡単には、中国には入れないぞ」
という嫌な雰囲気を感じました。
ぼくは、特別、問題がなかったので、入国審査に向かいました。
入国審査は、手続き的にはいつも通りでしたが、入国管理官までが、防護服を身にまとい、重々しい雰囲気でした。
そこで、解放されると軽く考えていましたが、機内からの荷物をターンテーブルからピックアップして、出口から出ようとした先に、乗客の振り分けが行われていました。
上海での居住地ごとに振り分けが行われていたのです。
あとで、分かることですが、大雑把に2分すると
「自宅隔離のグループ」
「ホテル隔離のグループ」
の2通りです。
「ホテル隔離のグループ」は、居住地ごとや家族構成で隔離ホテルが違うので、さらに細かく分けられていました。
ぼくは、「自宅隔離グループ」だということも知らずに、「解放された」と勘違いして大急ぎで、タクシーに乗りました。
2時間後、ぼくのアパートの門の前で大変なことになることも知らずに、、、
~アパート敷地の門扉の前で~
アパートの敷地にある門扉の前に来ました。
ぼくのイメージとしては、「出入り許可証」(下の写真)があるので、それを水戸黄門の印籠(いんろう)のように出せば、スムーズにアパートに入れるだろうと読んでいました。
そして、今までと同じように「ソフト隔離」のルールに従って、生活を継続すればいいのだろうと考えていました。
ところが、スーツケースを転がし、「出入り許可証」を手に持ち、門扉に入ろうとしたところ、物々しい防護服の管理員が、
「その許可証は、もう使えない」
と言って、ぼくの手からいきなり取り上げたのです。

ぼくは、事情が分からず、「印籠(いんろう)」を取り上げられたので、
「やめろ、何するんだ」
と中国語で抵抗しました。
これを取られると今後、出入りができなくなるからです。
防護服の管理員たちは、早口の中国語で何やらマシンガンのように、まくし立ててきました。
ぼくは、ただでさえ中国語が不得手なのに、気が動転していたことで、大事なことすら理解不能に陥ってしまいました。
何かとんでもないことが起ころうとしていることは、感じ取れました。
とりあえず、何が起こっているのか理解することが大事です。
こんな時は、大家さんの夫(以下、陳さんと呼びます)が頼りです。
ぼくの大家さんは女性で中国人です。
その夫(陳さん)も中国人ですが、なぜか日本語がペラペラなのです。
いつも、何か困ったことがあると、助けてくれます。
この時も「ウイチャット電話」で通訳をしてくれました。
陳さんの通訳によると、
「宮田さん、今日から14日間自宅で隔離生活です」
「自宅の部屋のドアから一歩も外に出ることはできません」
「出入り許可証は、隔離期間の14日間経たないと返してもらえません」
「これから、管理官と一緒に部屋に行って、書類を作成し、隔離生活に入ります」
「食べ物などの必要物品は、私が保証人になりますので、私と妻が届けます」
「必要な物を毎日ウイチャットでメールしてください。その通りに買って、届けます」
「これから、管理官と部屋に行きますが、その時に、この地区の隔離者のメーリングリストに登録してください。そこに毎日、午前と午後の2回体温や健康状態をメール送信してください」
まだ、いろいろ、言われたと思いますが、これだけの情報を中国語で理解するのは困難です。本当に大家さんの夫(陳さん)がいてくれて助かりました。
~アパートに管理官とともに~

管理官の女性たちです。
今見ると、そうでもないですが、その時は、鬼のような形相でした。
向こうに見える私服の女性は、おそらく地域の共産党員だと思います。
管理官たちが、きちんと仕事をしているか、チェックしているのだと思います。
そして、
「今、一人、隔離対象日本人を自室に連行。手続き完了!」
とかメールで打って上層部に連絡しているのだと思います。フー!

こんな用紙が、作成されました。
これは、ぼくの控えです。
「後で必要事項は自分で書いておけ」
と言われました。
管理官が持ち去った書類数枚の方には、必要事項を漏れなく書かされました。
今度は、本当の完全隔離です。
アパートのドアから一歩も外へ出られなくなりました。
中国は、こんな時は監視体制が異様に厳しいので、
「アパートの敷地内なら、いいだろう」
なんて思って外出すると、後で、どんなペナルティーが待っているか分かりません。
淡い期待は、崩れ去りました。
14日間の隔離生活を受け入れざるを得ません。(泣)
こんな感じでぼくの完全隔離生活は始まるのでした。
(第7話、終わりです)
(第8話は、「アパートでの完全隔離生活」について紹介します)
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