DAY3:3月26日(土)その2
~四国上陸、「かみなり旅」はまだ続く~

淡路島の海岸での写真です。
淡路島を横断して、南淡という港から、もう一度、フェリーに乗りました。
今度はうたた寝をして大迷惑にならないように、お互い注意し合っていたような記憶があります。
四国の鳴門港に上陸しました。
2泊3日かけて、ようやく四国に上陸したわけです。
この日の宿は、大学の同級生のW君の実家です。
W君の実家は、愛媛県今治市です。
旅に出る前に、W君に四国に行くという話をしました。
「わしの家に泊まればいいけん」
と言ってくれました。
W君とは、科は違いますが、アパートが近かったので、頻繁に行き来する仲です。
マージャンもよくやりました。
そして、そのたびに、鶏皮料理を食べさせてくれました。
「鶏皮は安いけんのう」
とか言っていたのを今でも覚えています。
今治は広島弁に似ているなと感じた覚えがあります。
何月何日に行くという具体的な約束はできなかったので、だいたい3月24日~26日頃という極めてアバウトな約束でした。
それでもY君は、
「そのあたりには、家にいるようにしちょっけんな」
と言ってくれました。
鳴門港でW君に電話をしました。
はっきりした時間は覚えていませんが、逆算すると2時は過ぎていたと思います。
もちろん、今のように携帯電話がない時代なので、公衆電話からです。
「鳴門港に着いたよ。今晩、泊めてもらえる?
夜になるかもしれないけど、必ず行くよ。
今治近くに行ったらまた、電話する」
といった内容だったと思います。
「るるぶ」の地図で見ると、鳴門港から今治までは250km以上ありました。
徳島県から香川県をまるまる通り越して、愛媛県に行くわけですから、かなりの距離です。
どこにも寄らずに行っても5~6時間はかかります。
でも、せっかく香川県に来たのだから、琴平さんだけは行こうということになりました。
地図で見ると大した寄り道ではないように見えますが、実際には最も選択してはいけない場所の一つだったようです。
当時は、まだあまり有名ではありませんでしたが、「讃岐うどん」を一杯食べるくらいのミッションにすれば、楽だったのだと思います。
正式名称は「金刀比羅宮(ことひらぐう)」ということは、後から知りましたが、その、本宮か奥社まで行くことを選択したわけです。
今なら、旅行サイトで、どんな所かすぐに検索できます。
「石段が本宮まで785段、奥社までは1368段あり、本宮往復は、ゆとりをもって約2時間必要」
とか、いろいろなサイトで紹介しています。
ですが、当時はそんなものはありません。
「行ってみないと分からない」が、その当時の旅のスタンダードです。
~金比羅様、全力で往復!~
金刀比羅宮駐車場に着いた時には、既に夕方近くになっていたと思います。
アパートの一人暮らしならともかく、W君は今、帰省して実家にいます。
常識外れの時間に着くことだけは避けたいと思いました。
だから、
「全力で往復」
と3人で決めました。
年配者が杖をつきながらゆったりと登っているところを横目に3人は何の情緒もなく、
「はあはあ」
言いながら、全力で走りながらの石段登りです。
本宮に着いた後も、ちょっと手を合わせただけで、下り始めました。
結局30分かからずに往復してしまいました。
今なら、考えただけで心停止です。
「若気の至り」というより「馬鹿気の至り」と言った方がぴったりですね(笑)。
「W君の家、到着は遅くとも8時」と定め、それから、また猛ダッシュのドライブです。
~今治の友だちの家で~
今治駅に着いたのは8時頃だったと思います。自分たちで決めたリミット、ギリギリだったと思います。
W君はいつもの笑顔で迎えてくれました。
駅からは、W君の道案内で実家に着きました。
待っていたのは、瀬戸内の幸満載の手巻き寿司や冷たいビールです。
久々のお風呂にも入ることができました。
ぼくが、風呂上がりに部屋に戻ると、何とマージャンの用意がしてありました。
3人は、にやにやしながら、ぼくが風呂から上がるのを待っていたようです。
ぼくは、
「やはり、やるのか」
とそれ以上に、にやにやしていたはずです。
そして、楽しい夜は更けていくのでした。