DAY1:1982年3月24日(木)
~わくわくの出発です~
四国旅の出発の日です。
今回は、Y君の車です。
O君はふるさとの上越市で合流しました。
国道8号線(当時、もちろん高速道路はありません)をひたすら西へ向かいました。
途中、金沢の兼六園観光をしました。

兼六園、唯一の写真です。(あまり楽しそうではありませんね。やはり観光地は好きではなかったのでしょうか?)
福井県に入ったころ、日が暮れて来ました。
~一泊目は福井県で~
一日目のねぐらは、福井駅の隣「江端駅」。
もちろん無人駅です。

「昭和的レトロ感」満杯の駅ですね。
余談です。
O君(写真中央)の足元に注目してください。
雪国名物(笑)「スノトレ」(正式名称:スノートレーニングシューズ)です。
長靴では、かっこ悪いし、ブーツではかっこつけすぎフォーマルすぎるということで開発された、当時、雪国の若者たちに絶大な人気を博した商品です(笑)。
もちろんぼくも持っていました。
内側がボアになっていて暖かいし、ひもをきつく締めれば意外にも雪は入らないという優れモノです。
雪国では必需品です。
確か、この年(昭和56年)の新潟県は、「56豪雪」という名前がついた記録的な豪雪の年でした。
特にO君とぼくのふるさと上越市周辺は、とてつもない量の雪が降りました。
建物の1階が雪に埋もれ、2階から出入りしていたくらいです。
そのような豪雪地帯が、旅のスタートだったため、O君は「スノトレ」で、これから1週間以上過ごさなければならなくなるのです。
そして、その「足の蒸れ」が、あとで、悲喜劇を生みます。
~初日から「してはならぬこと」を~
終電をやり過ごし、Y君持参の2畳カーペット(東北旅でも大活躍)を広げ、酒盛りになりました。
3人とも酒好きなので、自制心がなくなるのが心配です。
やはり、その夜も、今思えば、してはならないことをやらかしてしまいました。
深夜のホームで線路に向かって
「誰のが、一番遠くまで飛ぶか競争だ」
とか言って、3人で立ち○○ンをしてしまいました。
近くに駅の公衆トイレがあるにもかかわらずです。
言い訳をさせてください。
当時、日本全国いたる所の線路上は、列車内の水洗トイレから直接垂れ流される糞尿で社会問題化されるくらいの状態でした。
「黄害」(おうがい、または、こうがい)という言葉さえ生まれたくらいです。
だからといって、許されるわけではないですが、多少、線路上を汚すことは、今の倫理観よりは、かなり罪の意識は低かったのは事実です。
醜い言い訳でした。