DAY3:2019年10月1日(月)その2

~サマルカンド観光の目玉「レギスタン広場」~
ようやく、待ち焦がれたサマルカンドの「レギスタン広場」に来ることができました。

「レギスタン広場」は上の図のような3つの建築物で構成されています。
「レギスタン」とは、砂地の意味です。
モンゴル帝国のチンギス・ハーンに襲撃され、サマルカンドの住民の半分以上が殺されるという憂き目にあったのは1220年です。
サマルカンドは、その後、長らくモンゴル帝国の支配下にありましたが、14世紀末、英雄「アムール・ティムール」の登場によって、「ティムール帝国」が築かれ、サマルカンドは息を吹き返します。
その際、アフラシャブの丘の上にあった首都を現在の位置に移したのです。
ティムールさんは、「世界一美しい都」作りを目指し、世界の名だたる建築家を集めたと言われています。
首都移転の時に、砂地にあったという意味で「レギスタン(砂地)広場」という名前が付けられたと言われています。
ちなみに、「世界一美しい都」作りを命じたティムールさんの好きな色が、「青」だったので、サマルカンドの建築物が青を基調としたものが多いのだそうです。

~地図番号③:「ティラカリ・メドレセ」~

広場の正面に見えるのは、地図の③「ティラカリ・メドレセ」です。
1660年に建てられた神学校です。
「ティラカリ」とは金箔されたという意味です。
「メドレセ」はイスラム教の教義を学ぶ学校のことです。

「ティラカリ・メドレセ」の内部です。

外見では、金箔というイメージはありませんが、中に入ると、青の中に金がちりばめられていてまさに「世界一美しい都」を象徴した建築物だと思います。
青と金の絶妙のバランスが「世界一の美」を作り上げています。

青のドームの下には、礼拝堂があり、実際にお祈りをする人に出会いました。

正面の出窓にも、出ることができます。
何人かの観光客の姿が見えます。

「ティラカリ・メドレセ」を横から見た写真です。
~地図番号①:「ウルグベク・メドレセ」~

地図の①は、「ウルグベク・メドレセ」です。
広場の西側(左)に1420年に建てられた神学校です。
3つの建物の中でもっとも古くに建てられた建物です。
ウルグベクとは、その当時、実際に教鞭をとった天文学者の名前です。

中庭には、木陰があり、観光客や地元住民が、休んだり、自転車の練習をしたりしていました。

高さ35mある入口アーチです。
天文学者「ウルグベク」さんの嗜好を反映し、青い星をモチーフにしたと言われるタイル模様です。
~地図番号②:「シェルドル・メドレセ」~

地図の②は、「シェルドル・メドレセ」です。
広場の東側(右側)に1636年に建てられた神学校です。

「シェルドル」とは、「ライオンが描かれた」という意味です。
よく見ると、正門の右上と左上に1頭ずつライオンが描かれているのがお分かりいただけるかと思います。
さらに、ライオンの背中には人間の顔が見られます。
くわえて、ライオンの口元には獲物の小鹿まで描かれています。
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)を否定するイスラム教の建築物では、人や動物など具体的な姿を描くことは、世界的に極めて珍しいデザインです。

車いすが必要な人には、貸し出せるようなコーナー(右下隅)があります。
直射日光が当たらないようにテントの中に保管してあります。
身障者に優しい街なんだと少しびっくりしました。


各施設を使って、お土産物屋さんにも利用しています。

~中央アジア最大のモスク「ビビハニム・モスク」へ~
今日は、夜9時から始まる「レギスタン広場」でのライトショーを見るため、薄暗くなってもホテルに帰らず、観光を続けることにしました。
「レギスタン広場」の次に向かったのは、「ビビハニム・モスク」と「ビビハニム廟」です。下の地図の右上にあります。

詳しい紹介は、次回にします。
(第7話:終わりです)
(第8話:「ビビハニム・モスク」と「ビビハニム廟」へです)
