DAY2:1980年6月9日(火)
~寝起きの2人をパチリ!~

寝起きのY君とT君です。
おっと、ビックリ!
よく見ると、当時はやっていた右隅に「ラジカセ」が写っているではないですか!
小粋にもラジカセ持参で野宿旅をしていたのですね!
40年たった今、記憶が蘇ってきました。
サザンとかユーミンとか聞いていたのでしょうね。
~なぜか、寒風山から下りて来る「ぼく」~
朝、寒風山の登山道をなぜか一人で降りてくるぼくの様子が下の写真に写っています。


拡大してもよく見えませんが、、、
なぜ、ぼくだけ、朝っぱらから寒風山に登ったのかは、定かではありません。
ねぐらからY君が撮ってくれたらしいのです。
数十年後に、Y君に会った時に確かめたら、
「おそらく、いつまでも、寝ている2人にイライラして
暇つぶしに登って来たんじゃないか?」
とのこと。
そう言えば、ぼくは、高校から大学1年までの4年間、新聞配達をしていたので、早起きはお手の物。
旅の最中でもその癖が出て、朝早くから周囲に迷惑をかける「ウザイ存在」だったみたいですね(笑)。

その後、車で寒風山の展望台まで行って、再び北上を始めました。
~北海道が見えるぞー!~
その後、秋田県をあとにし、青森県に入りました。
弘前を通り、津軽半島を津軽線沿いに北上していた時です。
3人が、ほぼ同時に
「北海道だ!北海道が見えるぞー!」
と叫んだのです。
ただひたすらに、北上してきたので、津軽半島の最北端「竜飛岬」まで行けば、とりあえず、終点だとおぼろげに考えていましたが、北海道が見えてしまったのです。
だれかは、覚えていませんが、
「ここまで来たなら、北海道に行きたいな!」
と言い出しました。
他の2人に異論はありません。
この旅の2,3年前、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」という曲が
日本中で大ヒットしていました。
「上野発の夜行列車下りた時から青森駅は雪の中。
(中略)私も一人、連絡船に乗り、、、」
当時は、だれしもこの歌を知っていました。
だから、青森駅から青函連絡船が出ていて、北海道の函館に行けることは容易に想像できました。
「よし!行こう!」
と、張り切って、3人は国鉄津軽線の駅に入っていきました。
当時、どんな無人駅でも、自由に使える時刻表の分厚い本が置いてありました。
「よし!今日はこの無人駅で泊まろう!
そして、明日の朝、津軽線で青森駅だ。
青森駅からは青函連絡船で函館上陸だ!」
ということに決まりました。
その、偶然飛び込んだ無人駅が下の写真の津軽線「蓬田(よもぎた)駅」です。

なぜか、Y君一人で写っています。
~銭湯で「異国?情緒」を~
たとえ無人駅とはいえ、最終列車が行くまでは「我が物顔」で駅舎を占拠するわけにはいかないので、銭湯に行くことにしました。
今なら、日帰り温泉施設が各地に点在しているので、カーナビとかスマホなどで調べてすぐに行くことができますが、当時はそんな便利なものはありません。
何人もの地元の人に聞きながら、銭湯を探し出しました。
銭湯探しの際にも衝撃を受けましたが、銭湯でも
「言葉が通じない!」
という今まで味わったことのない衝撃を受けました。
ぼくは、銭湯の脱衣所で石鹼を忘れたのに気付き、
番台のおばちゃんに
「車まで石鹸を取りに行きたいんだけど、いい?」
という、なんでもない会話だけで、どれだけ苦労したことでしょうか。
ぼくの勝手な印象は、「津軽弁はフランス語」です。
顔を見ると間違いない純日本人ですが、発する言葉はフランス語でした。(笑)
3人は、明日の北海道上陸を夢見て、眠りにつきました。