DAY7:2012年8月24日(金)その2

~観光の前にカリカリ~

↑子どもたちに「からまれた」ホテル前です。
マラケシュに無事、到着しましたが、ぼくたちは、カリカリしていました。
ホテル前の路地で、子どもに、お金をせがまれました。
小学校中学年くらいの男児3人です。
「あげないよ」
と、言っても、道をふさぐように、3人束になって、しつこくせがむので、日本語で
「迷惑だから、道をあけな!」
と、手で追い払うようにすると、3人のうちの一人が
「You suck Jap.」(くそったれ、ジャップ:日本人を侮辱する表現)
と、言ったのです。
ぼくたちを案内してくれたドライバーにも聞こえていたはずです。
ドライバーは、注意することもなく、何事もなかったかのように、ぼくたちをホテルに案内しました。
ドライバーは、ぼくたちより、英語はできます。
来る途中の会話でそれが分かりました。
子どもたちの差別的発言を聞いて、意味が分からないはずはありません。
聞かないふりをしていたのです。
マラケシュ人です。
マラケシュ観光で生計(せいけい)をたてている人間です。
マラケシュを少しでもいい街にしたいと思わないのでしょうか。
ぼくたちは、マラケシュが、かなり、嫌いになりました。
大人気ないと言えば大人気ないですが、気分が悪いのは、仕方ありません。
だいたい、子どもにあんな英語を教えるのは、大人に決まっています。
マラケシュの大人がダメだから、子どももダメになるんだと思います。
フェズのほんわかした温かみのある雰囲気をマラケシュでも期待していたのに、マラケシュの印象は、最初から最悪です。
~マラケシュのミニ知識~
話がそれたので、戻します。
観光の前に、少しだけマラケシュの紹介をします。

マラケシュは、モロッコの中央に位置し、商業・経済の中心的存在です。
北アフリカの先住民「ベルベル人」が作ったフェズの後の首都です。
上の写真のような、赤土の日干しレンガを使った建物が街全体に見られるため「ピンクシティ」と呼ばれることもあるそうです。


上の写真は、「ジャマ・エル・フナ広場」です。
城壁に囲まれた旧市街は、世界遺産に指定されていて、この広場を中心に夜通し、大勢の人々でにぎわいます。
~フナ広場を見ながらのんびり~

ぼくたちは、「ジャマ・エル・フナ広場」が見下ろせる、カフェに陣取り、夕暮れていく、広場の様子を、ビールを飲みながら、のんびり眺めていました。
あまりの暑さ(40℃を超えていました)と旅の疲れで、広場の人込みの中に入っていく体力や勇気がありませんでした。

夜が更けていくにつれて、屋台が出始め、そのうち、数えきれない数になりました。
それに比例して、いつの間にか、人々の数も数えられないくらいになりました。
屋台から上がる煙は、肉(ケバブ)やエスカルゴなどを焼いている煙です。
モロッコは、フランス統治が長かったせいか、エスカルゴを食べる習慣があるそうです。

ここまで、暗くなると、吹く風も涼しくなり、体力も回復してきました。
そこで、ぼくたちも、屋台に繰り出すことにしました。
広場では、主役は大道芸人たちから、屋台にとって代わり、人々は、大騒ぎしながら、見たことのないような、いろんな物を食べ、大声で騒いでいました。
ぼくたちは、そのテンションに、たじたじとしながらも、何軒かの屋台で得体のしれない物を恐る恐る食べました。
残念ながら、屋台での写真はありません。
広場の屋台では、人と人の距離があまりに近かったことや人々の視線や言動から治安の面でかなりの不安が感じられたので、一眼レフカメラは、バッグの奥底にしまったからです。
もちろん、バッグは、前掛けです。
ポケットというポケットはジッパーを閉めました。
ジッパーのないポケットには貴重品を入れないという配慮もしました。
気持ち的にも、周囲がいくら賑(にぎ)やかでも、努めて平静さを失わないようにしていました。
それだけ、言いようのない治安の悪さを感じたのです。
こんな感じで、マラケシュの印象は好転せず、1泊目の夜は更けていきました。
明日は、モロッコ最後の、というより、この旅最後の観光ができる日です。
良ろしくない、マラケシュの印象は、変わっていくのでしょうか?
(第19話 終わりです)
(第20話は、最終話:「最後の晩餐」「日本へ」です)
